柚木(ゆのき)の棚田
現在の柚木地区は農村と言えますが、昭和40年代までは、炭鉱町として栄えていました。山際には棚田が残っています。
しかし、ここの中心地は、耕地の改善事業が行われ、昔棚田だったところが、広い田畑になっています。そこには、大きな記念碑が建てられ、詳しい説明文が書かれています。
碑文によると、106ヘクタールの広さの田畑が、小さな棚田だったものが区画整理されたとのことです。大型機械で整地されたのですから、石垣はほとんどなく、段差は土で固められていて、棚田ではないように見えます。山ばかりの長崎県内では、100ヘクタールを超えるような農地は数少ないものです。
この整地された付近は「相当原(そうとうばる)」と呼ばれていて、戦国時代には合戦があり、今も語り継がれています。ここから下ったところに、柚木の町があり、鉄道も来ていましたが、今はなくなっています。
山からなだらかに下ってくるところに、炭住街の跡が見られます。
今は普通の住宅ですが、道に沿って段差がついています。住民に聞いたら、昔は炭住で、その前は棚田であったとのことでした。この道の左側には、炭鉱の坑口をふさいだところもあります。右側の川向うには、炭鉱住宅をそのまま利用しているところもあります。
次回は大野地区の棚田です
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