2016年1月25日月曜日

13.相浦川沿いの棚田(1/4)里美

里美(さとよし)の棚田(佐世保市里美町)棚田百選ではありません
 江戸時代、いや、もっと前から相浦川沿いに棚田が開墾され、穀倉地帯となっていました。江戸時代の村は、上流から里美村、柚木(ゆのき)村、大野村、皆瀬(かいぜ)村、中里村そして海に面した相神浦(あいのうら)村です。
 農薬がなかった頃、稲作の害虫退治は鉦や太鼓を打ち鳴らしながら(松明に火をつけて振り回していたかも知れません)自分の村から追い出していたと聞きました。相浦川沿いの村では、上流の里美村→柚木村→大野村→皆瀬村→中里村→相浦へと村人総出で行っていたそうです。その最上流の棚田です。

 道路から谷を隔ててかなり高い所にまで棚田が造られています。溜池はどこにあるのか分かりません。もしかしたら自然の湧き水があるのかも知れません。きちんと整備された棚田の石垣も立派です。
 少し下流にも棚田?がありました。
 以前は立派な棚田でした。今では、石垣も隠れてしまうほどの藪となっています。耕作放棄地になって、10年もは経っていないと思います。最大の理由は、後継者がいないということでしょう。全国的に、こんなところが増えて、イノシシの隠れ家となっています。もう少し下流に行くと、

 こちらは、きちんと耕作されています。九州の気候では田んぼを作らなくなると数年でダメになってしまうと言われています。

次回は柚木の棚田です。棚田の開墾は川の下流から始められ、次々と上流へ登って行ったといわれていますが、棚田の紹介は上流から下流へと下って行きます。






0 件のコメント:

コメントを投稿