2016年2月15日月曜日

16.相浦川沿いの棚田(4/4)皆瀬・中里

1.皆瀬(かいぜ)地区の棚田
 皆瀬にも以前は棚田が広がっていたと思われますが、かなりの部分が住宅地に変貌しています。皆瀬地区の高台の十文野(ともんの)付近の棚田を紹介します。
 現在の皆瀬は、相浦川沿いの低地に集落はまとまってありますが、明治の初め最初の小学校が庄屋屋敷に始まったのが、この十文野だそうです。今では農地と閑散とした集落です。小学校も下の集落地に移ってきています。
 古い神社の鳥居はずいぶん上ってきたところにあり、しっかりお祭りも行われています。


2.中里の棚田
 江戸時代、中里は平戸藩の郡代役所が置かれていて、現在の佐世保市の行政の中心地でした。相浦川の河口に近くなるので、平地の田んぼもありますが、すぐに山が迫り、棚田もかなりあります。

八の久保地区は山崩れで、八の字形に斜面が削られてそこに棚田が造られたといわれています。


 上の写真では八の字に削られた様子は分かりにくいうえに、棚田の擁壁は石垣でなく土で固められています。しかし、元は石垣で農地の改善事業で広い田んぼになり石垣は姿を消してしまいました。

3.実盛谷(さねもりだに)
 ここには棚田はありませんが、江戸時代農薬がない農民は相浦川上流の里美村→柚木村→大野→皆瀬→中里と鉦や太鼓を打ち鳴らし、害虫を追い出し最終地のここ実盛谷で実盛の恰好をした実盛人形を焼き捨て打ち上げたといわれています。実盛とは平安時代末期の武将、斎藤実盛のことで平家物語によると、実盛の最後は乗っていた馬が稲の切り株につまずいたためで、実盛が稲を食い荒らす害虫(ウンカ)になったとの言い伝えがあります。現在この谷は高速道路佐々・佐世保線になっています。

 この谷の下には、佐世保軽便鉄道時代のトンネルが埋まっています。高速道路工事でトンネルが埋まる3日前に通った時の写真を付けます。

 馬力が小さかった軽便鉄道はこの坂を越えることができず、トンネルだったのですが、現在の車は楽々と超えています。


次回は佐々町の棚田を予定していましたが、相浦川の飛び石とします。


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