2017年4月24日月曜日

78.佐賀県 唐津市(旧市内)2 疫神社

疫(やく)神社の肥前狛犬
 この神社は疫神社と呼ばれていますが、説明板には、湊八坂(みなとやさか)神社と書いてあります。肥前狛犬は1対2体です。ア像は

 反対側から見ると、右足が折れています。

 ウン像は傷んだところはありません。

 神殿の前には、小さい肥前鳥居もあり、鳥居の足元に1対の肥前狛犬がいます。

 この肥前鳥居は佐賀県で最も小型だそうですが、肥前鳥居も肥前狛犬も慶長2年(1597)だそうですから、安土桃山時代の作ということになります。
 訪れたときには、市の委託を受けた業者の若い人が、1本足のスタンドを立てて肥前狛犬をあらゆる角度から撮影していました。1体当たり百数十枚も撮り、コンピューターで合成して、あらゆる角度からでも見られるように加工するそうです。以前に撮ったものをスマートフォンで見せてもらいましたが、画面に指を触れ、動かせば自然に動いて非常に楽しい画像を見せてもらえました。全部の肥前狛犬をこの方式で登録すれが、今後は盗難被害には合わないのではないでしょうか。

次回は唐津市相知町の肥前狛犬です




2017年4月17日月曜日

77.佐賀県 唐津市(旧市内)1

唐津神社の肥前狛犬
 唐津市は平成の合併で、回りの市町村を多く合併しました。その中では、玄海町だけは合併しませんでした。玄海町には玄海原子力発電所があり、その交付金を独り占めするためでしょう。佐々町も佐世保市の中にぽつんと取り残されていますが、玄海町のような利権がらみではないのが胸を張れます。もし、玄海原子力発電所が放射能漏れをしたときに、周りの人が、すんなりと避難を受け入れてくれるでしょうか。
 唐津神社は市の中心部にあり、宮司も常駐していますので、神社名を出して、肥前狛犬の紹介ができます。神殿の外にいる1対2体から紹介します。
 

 首周りにしめ飾りがありますが、なぜか縄が長すぎて盗まれないようにどこかに結わえられているのか、とも思いましたが違いました。ウンの方はきちんとしていますが、アの方は口回りと足の部分が欠けています。自立できないのか、石を置いて支えられていて、痛々しい感じです。
 
神殿内には3体の肥前狛犬が並べて置かれています。

 神殿の奥にあり、薄暗い所で、近づけないので、写真が良く撮れませんでした。この唐津神社には合計5体の肥前狛犬がありました。

次回は疫神社です



2017年4月10日月曜日

76.佐賀県 小城市4.須賀神社

須賀神社の肥前狛犬
 由緒ありそうな神社は、駐車場に車を止めたら、小高い丘の上まで階段が急こう配に200段ばかり見られます。

 階段の中段には、肥前鳥居はありますが、上宮には肥前狛犬はいないとのことで、腰痛持ちの身では階段を上るのはすぐあきらめて、登り口の2対4体の写真を撮りました。祠の前には



 かづらが巻き付いた肥前狛犬1対です。神殿前にも一対いるのですが、左側はまともですが、右側のものには頭がありません。


 これらには、文字が刻まれていて、由緒も分かるのですが、頭が取れた肥前狛犬はもの悲しさを感じました。地元の人の話では、お祭りのとき、幟を立てるための大きな竹竿を神殿の床下に入れていて、それを出すときに、竹竿で頭にぶち当てて、頭が取れたそうです。数年前には傍にころがっていたそうですが、今では見かけなくなっています。肥前狛犬が最近の佐賀県では市民権を得ていますが、それ以前は粗末な扱いを受けていたようです。

次回からは唐津市の肥前狛犬です




2017年4月3日月曜日

75.佐賀県 小城市3.光勝寺

光勝寺の肥前狛犬 
 光勝寺は松尾山光勝寺と言いますが、日蓮宗の鎮西本山と呼ばれています。長崎県では、お寺に狛犬がいるところは非常に少ないのですが、佐賀県では、かなり多くの寺でも狛犬が奉納されています。神仏混合の名残と石工の里ならではのことでしょう。
 寺域はかなり広いのですが、奥まったところの階段を上がったところに八角堂があり1対2体の肥前狛犬が参道狛犬のように鎮座しています。



 光勝寺の山門のすぐ手前から左へ登る階段があり、「宮戸大明神」の神殿があります。階段の最上部に参道狛犬のように1対2体の肥前狛犬がいました。


 いずれも古いもので、江戸時代中期のものではないでしょうか。日蓮宗の寺院では、六地蔵塔を探していた時には、全く見つかりませんでした。さすが鎮西本山だけあって、よく整備された境内には墓地以外にも、仏像なども多数ありました。

次回は須賀神社です