2018年9月24日月曜日

152.糸島市の肥前狛犬1

糸島市二丈満吉の天満宮
 福岡県糸島市にも肥前狛犬がいるということで、糸島市在住の郷土史家の坪内国基さんに案内してもらいました。



 ここの肥前狛犬は、砂をかけて、さするという風習のために、特に頭から顔にかけてはすり減っています。狛犬の表情は全く分かりません。狛犬の回りには砂がたまっています。写真の撮り方が悪く、分かりにくいのが残念です。
 六地蔵塔の場合、お地蔵さんの顔に、赤や黄色の土を塗って子供の病気の平癒を願ったということが見られましたが、狛犬の体を砂でさするということはどんな風習でしょうか。やはり、自分の悪い所をさすってお祈りしたのではないでしょうか。それにしても砂がたくさん残っているということは現在もこの風習が続いているということでしょう。

次回は糸島市の肥前狛犬2です





2018年9月17日月曜日

151.神野公園の栴檀橋

佐賀市の栴檀橋(せんだんばし)は石の桁橋
 この橋は、前回の石井樋のおよそ5km下流の多布施川に架けられています。近くの神野(こうの)公園の入口にあります。神野公園は「神野のお茶屋」として親しまれてきた佐賀藩別邸が、佐賀市に寄付され「神野公園」として市民に開放されたのは大正12年です。
 その翌年の架橋で、橋長16.8m、幅員5m、6スパンの国内最大級の石桁橋です。河岸に多く生えていた栴檀の木に由来して、栴檀橋と名付けられたようです。

 さすがに現在は車を支える力はないらしく、歩道として使われ、すぐ下流に車道はコンクリートの橋が架けられています。しかし、周りの風景に溶け込み、優しさが感じられます。また、「A級近代土木遺産」にもなっています。

次回は糸島市の肥前狛犬です








2018年9月10日月曜日

150.さが水ものがたり館と石井樋

佐賀平野の水利と水害対策
 佐賀平野は穀倉地帯として有名ですが、山からいきなり平野になり、山からの土砂による有明海の干拓も進んでいます。大雨になれば、嘉瀬川は暴れ川となり、水害を起こしていました。400年前に佐賀藩の成富兵庫成安(なりとみひょうごしげやす)という人が、コンクリートがない時代ですから、石を使って「石井樋」を作り嘉瀬川の水を多布施川へ緩やかに導き、農業用水、生活用水と利用してきました。佐賀では成富兵庫成安は「水の神様」と呼ばれていたそうです。
 昭和35年に上流に川上頭首工という取水施設がつくられるまで、およそ350年間、水不足や水害から佐賀平野を守り続けました。使われなくなってからは、水も流れなくなって、部分的に土砂に埋もれていました。しかし、この石井樋は現在日本に残っている利水施設としては、最も古いもので、歴史的価値が見直され、平成17年に整備・保存されました。「さが水ものがたり館」でもらったパンフレットが分かり易いので図をコピーします。

 主な石組の現在の写真を付けます。
(1)象の鼻
(2)天狗の鼻

(3)石井樋

 左側に水門が2つ見えますが、3つ目にはゴミが詰まっていてよく見えませんが、ここから多布施川へ水が取り入れられています。現在、この水が佐賀平野の農業用水に80%、水道水10%、工業用水10%使われているそうです。

 さが水ものがたり館の展示館です。回りはきれいに整備されていて市民の憩いの場になっています。

次回は石の桁橋「栴檀橋」です









2018年9月3日月曜日

149.小城市の肥前狛犬9

天満宮の肥前狛犬
 1対2体の肥前狛犬ですが、場所の特定は差し控えます。



 神殿の中に安置されているので、風化はそれほどひどくはありません。薄暗い中にあり、参会者が多くて、写真を撮るとき急いでいたら手振れを起こしていました。

次回は「さが水ものがたり館」に行きます