2019年12月9日月曜日

215.公法窯の肥前狛犬

公法窯(伊万里市大川内山)

 以前、永渕さんに案内されて武雄の肥前狛犬を写真撮りに行ったとき、武雄郵便協近くで、ここですと言われて祠の中を見たら石仏類はいろいろありましたが、1体あるはずのものが、なくなっていました。永渕さんは写真を撮り、寸法も図っておられていたので、伊万里のここにあることが分かった次第です。肥前狛犬を学ぶ会が活動を続けていたのでこんなことも分かったようなものです。



 公法窯は江戸時代には佐賀鍋島藩の御用窯があった大河内山の入口に近い所で白磁を焼き店を開いておられます。
 窯主は40代くらいの若い人ですが、骨董が好きで武雄市内の骨董店で見かけてきにいったので買ってきたとのことでした。
 なくなったと思ったものが見つかったのは良かったのですが、何か複雑な思いがしました。

次回は諫早の飛び石です 



2019年12月2日月曜日

214.武雄市の肥前狛犬12

鎮守神社(武雄市西川登)




 
 



  この神社は別名「神六神社」とも呼ばれています。1対2体の肥前狛犬は奉納者名は神六村住人、前田助左衛門と読めます。見たときは砂岩かと思ったけど、安山岩だそうです。記年銘が読めるのは珍しいものです。これは、天和2年(1682)ですから、初期のものからすれば100年ほど後のものですが、保存状態が非常に良いものです。
 神社の拝殿の奥に収められていますので、町内会長さんが鍵を開き、板台の上に白い紙を置きその上に展示されていて、写真が撮りやすいように配慮されていました。

次回はもともと武雄市内にあったものが現在伊万里市にある肥前狛犬です








2019年11月25日月曜日

213.武雄市の肥前狛犬11

貴船神社(武雄市東川登)





   1対2体の肥前狛犬です。かなり大きめというか、中型です。神殿内に置かれているので、当日の見学者も多く、いろんな角度から写真を撮ることができませんでした。

次回も武雄市内です 









2019年11月18日月曜日

212.鹿島市の肥前狛犬3

救世(くぜ)神社(鹿島市下浅浦)

 


 
 
 
 
 1対2体の白くてきれいな肥前狛犬でした。ずっと屋内に置かれれいたものと思えます。鹿島市の学芸員の話では肥前狛犬の第2期とか3期とか話されましたが、比較する物がない所では、分かりませんでした。今までにずいぶん肥前狛犬は見てきましたが、どこのがどんな形をしていたか思い出そうとしても写真を見なければよく分かりません。
 
次回は武雄の肥前狛犬です
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2019年11月11日月曜日

211.鹿島市の肥前狛犬2

西葉(さえ)神社(鹿島市音成)




 拝殿内には藁束が無造作に置かれていますが、近々注連縄つくりをするのではないでしょうか。
 肥前狛犬は1対2体、久しぶりに、ア像、ウン像といえるものに出会いました。現在は拝殿内に置かれていますが、以前は屋外にあったのかも知れません。かなり表面が傷んでいます。

次回も鹿島市内の肥前狛犬です










2019年11月4日月曜日

210.佐賀県鹿島市の肥前狛犬1

天子神社(鹿島市音成)

 鹿島市の肥前狛犬巡りには、鹿島市役所の文化財の学芸員の方が案内・説明をされました。




  1対2体の肥前狛犬です。目の大きさが特徴です。ふくろうを何となく思わせられました。学芸員の話では、肥前狛犬の制作時期に関して、1期、2期、3期などと説明されましたが、良く分からなかったし、他も回ったので、どこがどれか記録もしてなくわからなくなりました。年代が判明している肥前狛犬は数も少なく、類型に分けるのは難しいことでしょう。
 この狛犬に対応するように腰かけたような人形の像(石か石膏かわからず)があったけど、何を意味するか分かりません。古い神社ですからいろんなものがあるのでしょう。

次回は鹿島市の肥前狛犬2です  










2019年10月28日月曜日

209.佐賀県太良町の肥前狛犬2

大魚大明神(おおうおー)(太良町太良栄町)

 佐賀県の太良町に行って「竹崎ガニ」を食べずに帰ったのは、今回が初めてでした。竹崎ガニとは太良町の竹崎港に水揚げされるワタリガニのことです。小学生の頃から夏休みには叔父さんたちに連れられて行っていましたが、大人になってからも時たま出かけていますが、すべて竹崎ガニを食べるのが目的でした。それにしても、有明海の海産物はみんな旨いのかと考えます。ムツゴロウ、アゲマキ、シャッパ、ワラスボ・・・最近は漁獲量が激減してめったに食べる機会はなくなりました。
 それにしても、神社の名前が「大魚」というのは珍しいと思っていたら、説明書きがあり良く分かりました。ここが中宮?で多良岳山頂が上宮?そして沖ノ島が下宮?ということでしょう。

 中宮に肥前狛犬が1対2体神前に鎮座していました。



 沖ノ島は見えませんでしたが、海中の赤い鳥居は見事でした。

次回は鹿島にいきます


2019年10月21日月曜日

208.佐賀県太良町の肥前狛犬1

戸口神社(佐賀県太良町伊福)

 江戸時代にはこの地方、佐賀鍋島の領地で、近くの鹿島藩の領地ではなかったそうで、中野家のご先祖が代官をしていたそうです。明治になり、代官とは言わなくなりますが、明治に建てられた自宅は古いけどしっかりしたたたずまいは見事なものです。佐賀県の文化財に指定されています。
 現当主の中野  さんは現在、東京在住ですが、年間数回は帰省されて家屋敷の維持管理をされています。大変なことだと思います。




 この中野さんの案内で戸口神社の肥前狛犬を見せてもらいました。境内にある鳥居や灯篭の寄進者の名前に至るところに中野さんのご先祖の名前が刻まれていました。肥前狛犬は



 

 1対2体の小型のものですが、アーモンド型の眼が特徴です。神社の名前の「戸口」のことを聞いたら、天岩戸に隠れた天照を引き出すために力持ち手力男尊(タヂカラオノミコト)が岩戸を引き開けたことに由来するとのことでした。

次回は太良町の肥前狛犬2です





2019年10月14日月曜日

207.神埼市の肥前狛犬3

櫛田宮(神埼市神埼町神埼)

   櫛田神社といえば、博多祇園山笠で有名な博多の神社を思い出しますが、宮司さんに聞いたら、ここ神埼の神社の方が古い所だそうです。確かに古色蒼然とした境内には、たくさんの神様が祭られていて、小さな祠にはそれぞれ違った名前がついています。まさに八百万の神様という言葉を考えさせられます。
 肥前狛犬は史料室に入れられていました。雑然といろんなものと一緒に詰め込まれている感じです。


 1対2体の肥前狛犬です。



  しかし、これでは狛犬の本来の姿である、神殿を守るという感じがしません。最近の盗難防止のために鍵をかけてしまいこむということには合いますが、少し情けないものです。

次回は佐賀県太良町の肥前狛犬たちです 

2019年10月7日月曜日

206.神埼市の肥前狛犬2

鰐大明神(神埼市志波屋)

 百済門(くだらもん)とありますが、ここは、百済の王仁(わに)博士が日本に初めて漢字と儒教を伝えたとされる所です。王仁博士顕彰公園として広い敷地に大きな駐車場も完備しています。肥前狛犬を学ぶ会の見学会の時、いつも駐車場で困っていますが、ここだけは楽々と止めることができました。
 門を入った奥の一角に「鰐大明神」があります。神社の名前は「鰐」ですが「王仁」はかせの「わに」と同じことは王仁博士にちなんだ神社ということでしょう。
 



 1対2体の肥前狛犬です。屋外にずっと置かれていたからでしょう。苔むして古色蒼然としています。前足がくりぬかれているのは時代的には新しいものかもしれません。

次回は神埼市の櫛田宮に行きます





2019年9月30日月曜日

205.神埼市の肥前狛犬1

鶴東公民館

  神埼市の鶴東(つるひがし)公民館内に肥前狛犬1対2体が保存されています。もとは近くの神社か祠に祭られていたものでしょうが、無住の神社や祠では盗まれるので、公民館で保存管理をされているのではないでしょうか。



 記銘年がありませんので、良く分かりませんが、公民館に移された時に、洗剤を付けて良く洗われたのではないでしょう。白くてきれいなものです
 ア・ウンの区別は出来ませんが、大きさが少し違うので、雌雄の区別はされていたのではないでしょうか。

次回は神埼市2です