宮村観音堂
どこにでもあるようなお堂ですが、中に入ると5,6人のお婆さんがお茶を飲みながらおしゃべりをされていました。こんなお堂に入ったのは初めてでした。毎日集まっているそうです。おじいさんは一人も来ないそうです。
本尊の右側に1体だけ肥前狛犬がいて、左側は観音様です。
室内はきれいにされて花も新しいものが生けられています。観音様と狛犬には新しいエプロンもかけられています。大勢の珍客にもかかわらず、お婆さんたちはにこにこと対応されて楽しそうにお茶を飲んでいました。
古い狛犬が1体だけというのは、よそから持ってきたものか、対のものがどうなったのか分かりませんが、現在お堂が集落の中でお年寄りの集いの場になっていて、楽しく活用されている様子がうかがえました。
次回はみやき町の肥前鳥居です
2019年2月25日月曜日
2019年2月18日月曜日
173.佐賀県みやき町の肥前狛犬1
若宮八幡神社(みやき町坂口地区)
神殿下段左右に鎮座している狛犬ですが、初めに見たときはネズミみたいに見えました。肥前狛犬は同じものは2つとないといわれていますが、それにしてもこの形は珍しいものです。
みやき町は3町が合併してできた新しい町ですが、旧三根町エリアの案内を町役場の職員が日曜日にも数名当たられ熱心に案内していただきました。
次回も、みやき町の肥前狛犬です
2019年2月11日月曜日
172.値賀神社(玄海町)
値賀(ちか)神社(佐賀県玄海町)
ここはずいぶん階段を登らされました。
この狛犬を見たときには、これは肥前狛犬ではない!と思いました。他にも見た人からこれは違うのではないかという人も何人かいました。そこで、肥前狛犬を学ぶ会の見解を事務局から話がありました。
この狛犬には、記年銘があり、明和8年(1771)ですから、これは肥前狛犬だということだそうです。もちろん石工の里ですから、肥前の国の石工が造ったのは間違いありません。
次回から佐賀県みやき町(旧三根町エリア)に行きます
ここはずいぶん階段を登らされました。
この狛犬を見たときには、これは肥前狛犬ではない!と思いました。他にも見た人からこれは違うのではないかという人も何人かいました。そこで、肥前狛犬を学ぶ会の見解を事務局から話がありました。
この狛犬には、記年銘があり、明和8年(1771)ですから、これは肥前狛犬だということだそうです。もちろん石工の里ですから、肥前の国の石工が造ったのは間違いありません。
次回から佐賀県みやき町(旧三根町エリア)に行きます
2019年2月4日月曜日
171.白山神社(玄海町)
石工の里、白山神社(玄海町値賀川内)
白山神社の境内に石工の里の記念碑が建てられています。
豊臣秀吉が朝鮮出兵のため、名護屋城を築いた時の石工徳永九郎左衛門を祖先とする石工の集団がこの地に居着き現在まで続いています。
山際の狭い場所に建てたため、城の城壁を思わせる石垣が反り返り、神殿などが建てられています。狛犬もさまざまなものがあります。
この神社には、肥前狛犬はいないと、肥前狛犬を学ぶ会ではなっていましたが、探しているうちに半分埋もれたものを見つけ出しました。
1体だけですが、私ともう一人の人が、強硬にこれも肥前狛犬だと主張したら、学ぶ会の事務局の永渕さんがではこれも肥前狛犬に入れましょうというので我々は納得しました。会長はまだ知りません。こんなことで、少しずつ肥前狛犬は増えています
次回は値賀神社です
白山神社の境内に石工の里の記念碑が建てられています。
豊臣秀吉が朝鮮出兵のため、名護屋城を築いた時の石工徳永九郎左衛門を祖先とする石工の集団がこの地に居着き現在まで続いています。
山際の狭い場所に建てたため、城の城壁を思わせる石垣が反り返り、神殿などが建てられています。狛犬もさまざまなものがあります。
この神社には、肥前狛犬はいないと、肥前狛犬を学ぶ会ではなっていましたが、探しているうちに半分埋もれたものを見つけ出しました。
1体だけですが、私ともう一人の人が、強硬にこれも肥前狛犬だと主張したら、学ぶ会の事務局の永渕さんがではこれも肥前狛犬に入れましょうというので我々は納得しました。会長はまだ知りません。こんなことで、少しずつ肥前狛犬は増えています
次回は値賀神社です
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