2019年6月24日月曜日

191.佐賀県大和町の肥前狛犬

大久保天満宮(佐賀市大和町大久保)の肥前狛犬




 佐賀の大和町には叔父さんが電気工事店をしていたので、遊びに行ったり、電気工事の手伝いをしたりしてよく行っていました。今は従弟が後を継いでやっています。
 高速道路工事が行われ、その時、奈良時代の遺跡「肥前国庁跡」が整備されています。大宰府の管轄の大規模な国庁跡がいくらか復元されたりもしています。肥前の国は昔は佐賀県が主で長崎県側はずっと後になり集落もできたようです。大和町には国分寺とか尼寺という地名も残っており文字通り肥前の国の中心地だったようです。
  三日月町に近い、大久保天満宮には参道狛犬の堂々としたもの1対もありますが、その前に肥前狛犬としては大型のものが1対しっかりと対峙しています。









2019年6月17日月曜日

190.佐賀県三日月町の肥前狛犬3

織島神社(小城市三日月町東分)の肥前狛犬

   この神社には、肥前狛犬が1対と1体、合計3体あります。




 普段、神社の神殿には鍵が掛けられていて肥前狛犬をまじかに見ることは出来ません。この日は見学会にお合わせて、地区の世話役の人が開けてくれました。
 足の部分が欠けて座りが悪いものもあります。いまでこそ神殿の中に大切に保存されていますが、以前は雨ざらし日ざらしで狛犬にとって苦難の時代があったことでしょう。1体だけのものも以前は対のものがあったでしょう。「肥前狛犬を学ぶ会」ではすべての肥前狛犬を調べ終わったら、データベースにまとめられ、どこの1体とどこの1体が1対であったということも分かるようになってくるのではないでしょうか。

次回は佐賀市大和町の肥前狛犬です 





























2019年6月10日月曜日

189.佐賀県三日月町の肥前狛犬2

岡本天満宮(小城市三日月町岡本)の肥前狛犬
 


  こじんまりとした境内には参道狛犬1対、戦争前の昭和初期の馬の石像もありますが、なぜか1基だけです。このあたりの農家の馬も当時の陸軍に徴発されたことでしょう。
  神殿内には1対と1体の3基の肥前狛犬があります。




  背の高いのは別の祠にあったものを、移動したときに1体だけとなったのではないでしょうか。明治初期の混乱時に石仏の破壊や神社の統合なども行われていますが、今となっては記録も残っていず、その頃の様子をうかがい知ることはできません。
  最近は神社の宮司も減ってしまいここも無住です。地域の世話役がお堂のカギを持ってきて開けて見せてくれました。このあたりでは、肥前狛犬の紛失盗難のことが知れ渡り、きちんと鍵をかけるところが増えてきました。安心ではあるけど、不便ではあります。
  今回の見学会の幹事さんは地元の人と連絡を取り予定の時間に行くようにと気を使っておられました。

次回は三日月町の肥前狛犬3です



2019年6月3日月曜日

188.佐賀県三日月町の肥前狛犬1

七星宮の肥前狛犬(小城市三日月町佐織)

 今回の肥前狛犬巡りは「三日月町」一帯です。
 中村敦夫扮する、木枯し紋次郎が「あっしには関わりのないこと・・・」・・・のセリフで有名になった頃、上州三日月村とは違うけど、この付近を通ると昔は三日月村と言っていたのだなと思っていました。上州三日月村は笹沢左保のフィクションでしょうが、他にも兵庫県にも三日月村はありました。



 この神社の肥前狛犬は、1対2体足の部分が折れた所もありますが、拝殿の中に奥の神殿を守るように配置され、普段拝殿の扉には鍵が掛けられていて盗難を防止しています。鍵を持った町内会長さんがお世話をしてくださいました。大切にされている様子が分かりました。

次回は三日月町の肥前狛犬2です