2019年8月26日月曜日

200.長崎県の肥前狛犬(11)諫早市6慶厳寺

慶厳寺の肥前狛犬(諫早市城見町)

 慶厳寺は諫早市中心部にある古刹です。摩崖仏が数多く岩の崖に彫られているし、お琴の六調の発祥の地の記念碑もあります。

 
 
 この肥前狛犬はなぜかお寺の中庭に1体だけありますが、1対のもう一方の狛犬はどこに行ったのでしょうか。お寺にあるのは珍しいものですが、昔、神仏混淆の名残かも知れません。この肥前狛犬は彫が、粗削りで鑿の跡がはっきりと分かります。
 諫早市は江戸時代、佐賀鍋島藩の飛び地でしたから肥前狛犬が多いのもうなずけます。諫早市では6件目です。
 
 この近くの本明川には飛び石が所々にあり、よく整備されて風景の中に溶け込んでいます。次の機会に取材に行くことにします。
 
 
次回は長崎郊外の長与町に行きます
 
 
 


 
 
 
 
 
 

2019年8月19日月曜日

199.伊能忠敬の記念碑(佐々)

伊能忠敬の記念碑(佐々)伊能忠敬宿所跡



 伊能忠敬の一行が、佐々に宿泊したことも記録されています。文化10年(1813)の1月16日、当時、酒屋だった「石田平太郎」宅に宿泊しています。
 現在ではその建物の面影も偲べませんが、佐々川沿いの県道に面したところです。
 説明の文面を書いた人は、芳崖山人と記されていますが、当時、佐々町議会議員(日本共産党)の野田銀蔵さんです。共産党議員の名前を書くのを憚ったために、雅号を書いたものでしょう。郷土史家としても佐々の歴史には博学の人でした。


 道路の手前には、佐々川が流れています。旧暦の1月16日の頃はシロウオが上って来ていたはずです。数日後の江迎を測量したとき、伊能忠敬は三浦でシロウオ漁を楽しんでいますから。佐々の宿所ではシロウオ料理は出なかったのでしょうか、日記には記録されていません。この記念碑は1989年2月に建立させました。

次回から肥前狛犬になります






2019年8月12日月曜日

198.伊能忠敬の記念碑(相浦)

伊能忠敬の記念碑(相浦)

 


伊能忠敬が日本地図作成の測量のために、全国を回っていますが、第八次測量で、当地、相浦で文化10年(1813)の新年を迎えています。忠敬の日記には次の和歌も記されています。 
 
   七十路に近き春にぞ 相の浦 
            九十九島を いきの松原

 これから、ちょうど200年後2013年に相浦地区に記念不を建てようと計画されました。相浦商工会、相浦史談会、佐世保史談会などの人が中心です。私が以前関係していた、平戸街道ネットワークの会も一枚絡んでいます。建立は2014年。
 最初は相浦港の近くの空き地に建てられましたが、その後、佐世保市相浦支所などの建物が新築されたのを機に、支所横の公園に移転されました。


  佐世保富士の一つ、「愛宕山」が望めるところです。伊能忠敬の偉業を私が述べ立てることは皆さんご存知ですから。佐世保から北松浦半島を経て平戸に向かっています。九十九島の小島もほとんど小舟で渡り測量していますから大変なことだったでしょう。平戸藩からはかなりの支援を受けていますが、出来上がった地図を(平戸藩関係分)平戸藩はもらい受けていて、それは今も平戸には残っています。
 この年は伊能忠敬にとっては大変な出来事がありました。測量隊副隊長の坂部貞兵衛が五島を測量中に病死し、江戸では忠敬の長男も亡くなっています。
 
 余談になりますが、69歳で新年を迎えたときの和歌を佐々町のお母さんコーラス「コールトワニー」(家内がメンバー)がコンクールの自由曲で歌いました。もちろん、伊能忠敬作詞と書かれていました。

 次回は佐々町の伊能忠敬記念碑です 




2019年8月5日月曜日

197.嬉野市の肥前狛犬3

岩屋川内天然の祠

 

 天然の祠と書いたけど、岩陰遺跡みたいにも見えます。観音様ともお地蔵様とも見えるご神体を3体、赤いエプロンが目につきます。ここは、神社でもなければ、祠とも思われません。すぐ横に大きな平らな岩棚を人工的に造ったと思われるものがあり、ここに修験者が籠り修行をしたのではなかろうかと思われる感じを受けました。
 肥前狛犬は、ご神体3体を守るかのように、1対2体が両側に置かれています。ここは人里離れた山の中ではありますが、農地は近くまで耕されています。こんなところを誰が見つけたのだろうかと思いました。今回案内をしてもらったのは、肥前狛犬を学ぶ会の永渕さんですが、他県の人(九州オルレで歩いた人)から大まかな所を聞き、自分でずいぶん苦労をして、探し出したそうです。オルレという言葉は初めて聞いたので調べてみました。以下朝日新聞掲載の記事を転記します。

『オルレ  韓国・済州島の言葉で「家に帰る細い道」の意味で、自然を楽しみながら歩くトレッキングコースを指す。九州オルレは2012年に佐賀、熊本、大分、鹿児島の4県に四つのコースが誕生。その後、各地に広がり、県内では平戸にコースがある。南島原が加わり、現在17のコースがある。九州観光推進機構のよると、昨年9月までに約16万2千人が参加し、うち韓国人が約10万4千人を占めた。(2016-01-30朝日新聞朝刊 長崎・2地方)』 

 最近のウォーキングブームであちこちで歩く人を見かけますが、韓国からまで、山の中のみちなき道を歩きに来ているとは恐れ入りました。九州の山の中は冬でも暖かく、それほど深い山でもなく、歩きには適しているのでしょう。ピンクと青のテープの目印と矢印には「k」の文字の変形が使われていたら「オルレ」の道印です。