2018年6月25日月曜日

139.宇久島の六地蔵4

本飯良郷古里墓地内の六地蔵塔
 宇久島の西部地区の本飯良郷の墓地内にありました。

 墓地には最近の新しい墓がきれいに立ち並んでいます。

 入口に近い所です。車は和尚さんのものです。

 宝珠と笠はなくなっています。中台が逆さまになっています、ということはこの塔は倒れたことがあり、修復の時に逆の方が座りがいいので間違って組み立てられたのでしょう。笠がないので、龕部の傷み方がひどいものです。
 竿には文化15年(1818)と郷土誌には記載がありますが、現在では全く文字を読み取ることは出来ません。

次回は宇久島の六地蔵塔5です










2018年6月18日月曜日

138.宇久島の六地蔵3

木場郷の六地蔵
 ここの六地蔵さんは郷土誌に記載がありません。和尚さんが木場にもあったと連れて行ってもらいました。

 宇久島の六地蔵で、標識があるのはここだけでした。道路が三叉路になっているところで、昔風に言えば、追分でしょう。


 砂岩製の六地蔵さんはずいぶんと傷んでいて、文字などは一切読めません。記年銘がないので郷土誌には記載がなかったのでしょうか。宝珠が載せられていますが、これは五輪塔のものですから、近くにころがっていたのを粗末にならないようにと高い所に乗せたのでしょう。






2018年6月11日月曜日

137.宇久島の六地蔵塔2

飯良郷墓地入り口の六地蔵塔
 墓地入り口左側にありました。



 龕部と竿がつながった形になっています。単制とも思えますが、塔の形式(重制)ともいえます。
 苔が生えて表面の文字は読めませんが、郷土誌には安永7年(1778)と記されていて、郷土誌編さんの頃は文字が読めていたようですが、年号以外では読めないところが多いようです。

次回は宇久島の六地蔵3です






2018年6月4日月曜日

136.宇久島の六地蔵塔1

長崎県北の六地蔵塔について
 私の著書「日本の西の端から」2014年7月発行時点で154基の六地蔵塔を紹介して、その後探し出した分については、ブログ「六地蔵塔探し回り記」で、2016年4月10日に174基を出して終わっています。今回、宇久・小値賀で探し出した分を追加します。

小浜郷中村堂ン山(どんやま)の六地蔵塔
 和尚さんの車で出かけて、ほんの少し話をしていたら、ここですよと言われ車を降りてキョロキョロしてもそれらしいのは分かりません。指さされてやっとわかりました。灌木の茂みの中に隠れるようにありました。

 椿の小枝などを折り、何とか全体が見えるようにして、写真を撮りました。

 


 肥前型のしっかりしたものです。文字も何か書いてあるのは分かりますが、表面に苔が生えて全く読めません。水とたわしがあれば読めそうです。
 郷土誌によると建立年は寛文4年(1664)と記されていますがそれ以上詳しいことは良く分かりません。宇久島の六地蔵の中では最も古いものと言われています。

次回は宇久島の六地蔵塔2です






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