2016年2月8日月曜日

15.相浦川沿いの棚田(3/4)大野

大野地区の棚田
 大野地区は佐世保市街とは言えないものの、かなり近く、海軍鎮守府ができたころから開発が進んできたようです。したがって、かなり高段まで住宅地が建てられていて、昔の棚田が住宅地になっています。それでもいくらかは棚田が残っていて、耕作されています。

 山から見たら、相浦川沿いの低地にはびっしりと家並みが建ち高層のマンションも近頃は増えています。

 棚田の上にも、住宅地が造られ、町内会の名前に「坂の上」とか「坂の下」という呼び名のところもあります。

 相浦川沿いの開拓は川下から、上流へ進んだいますが、その中心地は大野地区です。ここにある祝詞(のりと)神社には「開拓1000年」の記念碑が昭和53年(1978)に建てられています。

 その他にも、「矢保佐(やぼさ)神社」が2キロ毎に、現在も5か所ほどあり、まとまった開拓開墾が終わったところに建てたといわれています。その中心が祝詞神社ということだそうです。

次回は皆瀬、中里の棚田です。







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