多久2
江戸時代になる以前の戦国時代に、佐世保の相浦から移住をしてきた人たちがこの界隈に住みついたそうです。地名にその名残をとどめを思わせるものがありますが、詳しいことは肥前狛犬保護の関点から示さないことにします。
1対2体ですが、アと思われる小さい方には角が1本あります。ずっと室内に安置されていたようで、傷みもなく、きれいにしています。
次回は多久3とします
2016年12月26日月曜日
2016年12月19日月曜日
60.佐賀県の肥前狛犬 多久1
多久市の肥前狛犬 1
肥前の国と言えば佐賀県と長崎県ですが、江戸時代までは、長崎県側よりも佐賀県側が人口も多く、時代をさかのぼればなおさら佐賀側が古い歴史を感じさせます。
以前に肥前鳥居をブログの書きましたが、それも佐賀には古いものが数多くあります。現在、「肥前」が付く石造物は「肥前鳥居」と「肥前狛犬」だけです。それらも長崎県では歴史研究家の中でもそれほど注目されることはありません。ところが、佐賀県には鳥居も狛犬も熱心な研究家が大勢います。実は佐賀県の人に肥前狛犬のことは教えてもらい、初めて気が付いた次第です。そんなわけで佐賀県には数多くの肥前狛犬が現存し、研究家、愛好家が盛んに活動されています。
神社名を出すことができないのが残念です。小さいけど愛らしい顔をしています。写真を撮るために動かしました。盗まれはしないかと心配になります。
次回は多久の肥前狛犬2です
肥前の国と言えば佐賀県と長崎県ですが、江戸時代までは、長崎県側よりも佐賀県側が人口も多く、時代をさかのぼればなおさら佐賀側が古い歴史を感じさせます。
以前に肥前鳥居をブログの書きましたが、それも佐賀には古いものが数多くあります。現在、「肥前」が付く石造物は「肥前鳥居」と「肥前狛犬」だけです。それらも長崎県では歴史研究家の中でもそれほど注目されることはありません。ところが、佐賀県には鳥居も狛犬も熱心な研究家が大勢います。実は佐賀県の人に肥前狛犬のことは教えてもらい、初めて気が付いた次第です。そんなわけで佐賀県には数多くの肥前狛犬が現存し、研究家、愛好家が盛んに活動されています。
神社名を出すことができないのが残念です。小さいけど愛らしい顔をしています。写真を撮るために動かしました。盗まれはしないかと心配になります。
次回は多久の肥前狛犬2です
2016年12月12日月曜日
59.長崎県の肥前狛犬(10)大村
大村の肥前狛犬
この神社も無人の社ですから、神社名は伏せておきます。参道右側のは、葛が巻き付いていたので、取り払ってから写真を撮りました。
左側のも、間もなく葛に巻かれそうです。苔も生えています。どちらも、屋外の雨ざらし日ざらしですから、石の風化も進み、顔だちも良く分かりません。
次回からは佐賀県の肥前狛犬を書きます
この神社も無人の社ですから、神社名は伏せておきます。参道右側のは、葛が巻き付いていたので、取り払ってから写真を撮りました。
左側のも、間もなく葛に巻かれそうです。苔も生えています。どちらも、屋外の雨ざらし日ざらしですから、石の風化も進み、顔だちも良く分かりません。
大村では、ここだけしか肥前狛犬はないそうです。長崎県内には他に長崎市内や島原半島にもあると聞いていますが、まだ探し出せずにいます。次回からは佐賀県の肥前狛犬を書きます
2016年12月5日月曜日
58.長崎県の肥前狛犬(9)諫早5
諫早の肥前狛犬5
珍しいことに、ここの肥前狛犬は池の中にあります。
本殿右側のは頭の部分だけ水からのぞかせています。苔も生えているので、よく見ないとわからないものです。左側のは
池の中の石の上に置かれていて、しかも、池の水は抜けてしまっているので、全体が分かります。これまでにはずいぶん狛犬は見てきましたが、池の中にあるのは初めてでした。以上、諫早の肥前狛犬は7対14体でした。
次回は大村の肥前狛犬です
珍しいことに、ここの肥前狛犬は池の中にあります。
本殿右側のは頭の部分だけ水からのぞかせています。苔も生えているので、よく見ないとわからないものです。左側のは
池の中の石の上に置かれていて、しかも、池の水は抜けてしまっているので、全体が分かります。これまでにはずいぶん狛犬は見てきましたが、池の中にあるのは初めてでした。以上、諫早の肥前狛犬は7対14体でした。
次回は大村の肥前狛犬です
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