鶴東公民館
神埼市の鶴東(つるひがし)公民館内に肥前狛犬1対2体が保存されています。もとは近くの神社か祠に祭られていたものでしょうが、無住の神社や祠では盗まれるので、公民館で保存管理をされているのではないでしょうか。
記銘年がありませんので、良く分かりませんが、公民館に移された時に、洗剤を付けて良く洗われたのではないでしょう。白くてきれいなものです
ア・ウンの区別は出来ませんが、大きさが少し違うので、雌雄の区別はされていたのではないでしょうか。
次回は神埼市2です
2019年9月30日月曜日
2019年9月23日月曜日
204.吉野ヶ里町の肥前狛犬2
八竜神社(吉野ヶ里町下藤)
前回の八龍神社の近くです。現在では文字を読み取れませんが、天和3年(1683)と記録されていますので、建造年はここのが4年早く造られていますが、大きさや姿、恰好もよく似ています。同じ意味合いで造られた狛犬かも知れません。奉納者も同一人物と思われています。
平成の合併で、現在は吉野ヶ里町となっていますが、以前は三田川町と言っていました。
この1対2体の肥前狛犬は記銘年が分かる貴重なものです。屋外の置かれているのに、しっかりとしているのは上質の安山岩を使用しているからでしょうか。
次回は神埼市に行きます
前回の八龍神社の近くです。現在では文字を読み取れませんが、天和3年(1683)と記録されていますので、建造年はここのが4年早く造られていますが、大きさや姿、恰好もよく似ています。同じ意味合いで造られた狛犬かも知れません。奉納者も同一人物と思われています。
平成の合併で、現在は吉野ヶ里町となっていますが、以前は三田川町と言っていました。
この1対2体の肥前狛犬は記銘年が分かる貴重なものです。屋外の置かれているのに、しっかりとしているのは上質の安山岩を使用しているからでしょうか。
次回は神埼市に行きます
2019年9月16日月曜日
203.吉野ヶ里町の肥前狛犬1
八龍神社(吉野ヶ里町箱川)
1対2体のがっちりした肥前狛犬です。回りは田んぼばかりです。
1対2体のがっちりした肥前狛犬です。回りは田んぼばかりです。
肥前狛犬見学会のこの日は天気も良く、大勢の人が集まりました。狛犬だけを写真に収めることは到底できません。ずいぶんと人間が入りました。おかげで大きさが分かり易いと思います。
説明書きによると、2体とも、53cmの高さですから、肥前狛犬としては大型の部類に入ります。これだけ大きいと盗まれて古物商に売られる心配はなさそうです。なおかつこの肥前狛犬の背中には建設年が記入されています。貞享4年(1687)ですから江戸時代の初期になります。しかし、現在では何か書いてあるのは分かりますが、文字を読み取ることは出来ません。最近このようなものが多いようです。私は、酸性雨のせいではなかろうかと思っています。
次回もこの近所の肥前狛犬です
、
2019年9月9日月曜日
202.長崎県の肥前狛犬(13)長与町2
長与町2.日枝神社
海岸そば、海に石垣を積み浸水を防いでいるようなところにこの神社はあります。
なぜかここの肥前狛犬1対2体は、火袋がなくなった「灯篭」の笠の上に乗せられています。まるで宝珠の代理みたいです。海岸そばで、潮風はもちろん海水のしぶきも浴びたことでしょう。風化というか摩滅も進んでいます。
次回から神埼市、吉野ヶ里町の肥前狛犬です
海岸そば、海に石垣を積み浸水を防いでいるようなところにこの神社はあります。
なぜかここの肥前狛犬1対2体は、火袋がなくなった「灯篭」の笠の上に乗せられています。まるで宝珠の代理みたいです。海岸そばで、潮風はもちろん海水のしぶきも浴びたことでしょう。風化というか摩滅も進んでいます。
次回から神埼市、吉野ヶ里町の肥前狛犬です
2019年9月2日月曜日
201.長崎県の肥前狛犬(12)長与町1
長与町1.岩淵神社
長崎市郊外長与町は長崎市のベッドタウンで、県内の人口減少が激しい中、大村市と佐々町とともにわずかでも人口が増加している自治体です。ここに肥前狛犬がいたということは、江戸時代大村藩に属していたけど諫早に隣り合っているのでその関係で肥前狛犬が奉納されているのではないでしょうか。
神社の階段を登った本殿前の両側に、ア・ウンははっきりせずにイという感じのものが、1対2体ありました。大きさは中程度ですが、右側のは彫もはっきりしていて、耳が丁寧に彫られているのは珍しいものです。
次回は長与町2です
長崎市郊外長与町は長崎市のベッドタウンで、県内の人口減少が激しい中、大村市と佐々町とともにわずかでも人口が増加している自治体です。ここに肥前狛犬がいたということは、江戸時代大村藩に属していたけど諫早に隣り合っているのでその関係で肥前狛犬が奉納されているのではないでしょうか。
神社の階段を登った本殿前の両側に、ア・ウンははっきりせずにイという感じのものが、1対2体ありました。大きさは中程度ですが、右側のは彫もはっきりしていて、耳が丁寧に彫られているのは珍しいものです。
次回は長与町2です
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