2017年12月25日月曜日

113.佐賀県白石町の肥前狛犬5

白石町5
 ここは神社名を伏せます。鳥居の所に1体と石祠の両脇に1対2体の肥前狛犬がいますが、いずれも風化が激しく顔の形ははっきりしません。

 鳥居のそばの1体はなぜか手水鉢の中に入っています。




 石の祠は新しいもののようですから、この肥前狛犬よりもずいぶん後の時代に作られたものと思われます。

次回は白石町6です









2017年12月18日月曜日

112.佐賀県白石町の肥前狛犬4

澤原大権現
 白石町坂田にある坂田集落の氏神様です。2対4体の肥前狛犬がありました。すぐ近くの昔は、庄屋さんだったところの人が神社のカギを管理されています。
 坂田には子供のころ従弟たちがいたので、時々遊びに行ったことがありました。しかし、この神社に行くのは今回が初めてでした。
 
 
 
 
 帰ってから現在、北九州在住の従弟に電話して、坂田の肥前狛犬の話をしたら、いつか一緒に坂田に行ってみようということになりました。楽しみが増えました。
 
次回は白石町5です
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

2017年12月11日月曜日

111.佐賀県白石町の肥前狛犬3

座主坊の肥前狛犬
 白石町の稲佐神社の一角にあるお寺、座主坊の本殿の両脇に1対の肥前狛犬が置かれています。ここは安心して紹介ができます。稲佐神社の参道に沿って、左右8坊、合わせて16坊の真言宗のお寺があったそうですが、現在では、座主坊のほかには、観音院と玉泉坊の3寺だけが残っています。



 1体はきれいにしていますが、もう一体はひび割れがひどく狛犬らしく見えません。神仏混淆の頃、稲佐神社に奉納されたものでしょうが、傷みがひどくなって近くのお寺の本堂に取り込まれたのではないでしょうか。
 
 この稲佐神社には、肥前鳥居もあります。佐賀県では最も古い肥前鳥居です。堂々たる大きなものです。

 鳥居の柱には、天正13年(1585)と刻まれているのが読めます。この杵島山一帯は、平安時代からの記録が残っていて、歌垣の石や水堂(みっど)さんとか、和泉式部の伝説も伝わっているところです。母方の祖母を私の車に乗せて、一緒に廻ったときも稲佐神社にも来ましたが、なんとなく通ったばかりでした。稲佐神社では今も流鏑馬が行われているということを聞いたのだけは覚えています。

次回は白石町4です




2017年12月4日月曜日

110.佐賀県白石町の肥前狛犬2

白石町2
 ここも神社名は公表を控えます。2対4体の肥前狛犬がおりました。





 石の祠の前に、ひっそりと向かい合ったのが2組、古色蒼然としています。雨ざらし日ざらしで、多少位置替えはあったかもしれませんが、300年以上経過したものと思えます。苔を落としてしまえば元の形と違うものになるかも知れません。

次回は白石町3です



2017年11月27日月曜日

109.佐賀県白石町の肥前狛犬1

白石町1
 白石町は私が満州から引き揚げてきて、母の実家に住んだところです。もっともその頃は、龍王村といっていましたが、その後の合併で、有明町になり平成の合併で白石町となったものです。したがって、私が小学校に入学したのは、佐賀県杵島郡龍王村立「龍王小学校」でした。その後も、何度も行ったことがあるところなので懐かしく、地名もなじみのあるところが多い所です。



 ここも神社名は伏せておきます。ここの肥前狛犬は土の上に直接置かれているために、かわいい狛犬の足元は土で汚れているのが気にかかります。

次回は白石町2です






2017年11月20日月曜日

108.佐賀県江北町の肥前狛犬

江北町の肥前狛犬(堤雄神社)
 江北町は国鉄では鳥栖ー長崎の長崎本線と佐世保線の分岐駅、肥前山口駅がある所です。私は子供のころからこの駅はずいぶん使っていたのに、江北町であることはずっと後になってから知りました。堤雄(つつお)神社の肥前狛犬は全部で5体ありますが、きちんとしたケースの中に収められていて、前面は透明ガラスですから写真を撮るのも楽でした。




 3体収められたものはかなり摩滅した感じです。以前は屋外に野ざらしになっていたのでしょう。これ以上は風化はあまり進まないでしょう。



 

 1対2体の方は背が低く横長なものです。背が高く3体のものは1対とはぐれものが1体どこかのものが紛れ込んだのでしょう。大切に保存されているので、久しぶりに神社名を出すことができました。

次回は白石町の肥前狛犬です




2017年11月13日月曜日

107.佐賀県砥川の肥前狛犬12

砥川12
 神殿前にある1対2体の肥前狛犬は、大きく堂々としているので、神社名をかこうかとも思いましたが、やめました。




 神社名が書けないのは、境内の一角に寄せ集められた石造物が無造作に置かれているところがあり、その中にありました。

 この中にはっきり肥前狛犬と識別されるものが2体、顔が分からないけど肥前狛犬と思われるものが少なくとも1体はあります。

次回は佐賀県江北町の肥前狛犬です




2017年11月6日月曜日

106.佐賀県砥川の肥前狛犬11

砥川11

 コンクリートの台座の上に、ずらりと石仏や石碑類が並べられています。その真ん中あたりに肥前狛犬が1体ありました。

 しかし、頭の部分は欠損してありませんが、足の部分を見れば、明らかに肥前狛犬であったろうと思われるものもありました。

 寄せ集められ、落ち葉の中に壊れかけたものも多く、寂しそうなたたずまいでした。

次回は砥川12です




2017年10月30日月曜日

105.佐賀県砥川の肥前狛犬10


砥川10




 古いお堂の中に1対2体安置されていますが、小さいので写真を撮るために、移動してみました。

次回は砥川11です






2017年10月23日月曜日

104.佐賀県砥川の肥前狛犬9

砥川9



 肥前狛犬としては前足が完全に彫りぬかれていて、数少ないものです。顔も犬のように見え、ア・ウンがはっきり区別できます。製作年が江戸時代も後半のものかもしれません。

次回は砥川10の肥前狛犬です






2017年10月16日月曜日

103.佐賀県砥川の肥前狛犬8

砥川8
 神社名は伏せます





 無人の神社ですから、小型の肥前狛犬はひょいと持っていかれそうですから用心に越したことはありません。

次回も砥川の肥前狛犬です

2017年10月9日月曜日

102.多久資料館に寄贈された肥前狛犬

多久資料館 
 ここには「肥前狛犬を学ぶ会」の本部があります。以前、「ニューヨークから帰ってきた肥前狛犬」というのも書きましたが、これもこの資料館に展示されています。最近になって、個人の方から肥前狛犬が寄贈されました。
 


 寄贈された方は、以前、古物商から購入されていたそうですが、資料館に持ってこられたとのことです。ニューヨークから帰ってきた肥前狛犬が新聞やテレビで佐賀県内では報道されたので、個人で所有するよりは、資料館で皆さんに見てもらいたいとの理由ではないでしょうか。

次回は佐賀県砥川の肥前狛犬8です






2017年10月2日月曜日

101.自作の狛犬

石に狛犬を彫ってみました 
 肥前狛犬を見て回りはじめてそれほど経過してはいないけど、200体以上は写真に撮っています。小さいけど、実に印象深いものです。これなら自分でも彫れるのではないかと思い始めて、硬い石はやれないけど、砂岩なら手持ちの道具で出来そうに思いました。
 山道を通りかかったとき、手ごろな砂岩を見つけて拾ってきました。サンダーにダイヤモンドカッターの刃を付けて切り出したらきれいな面が出てきたので、これで外形を削り出し、細かい所は昔、篆刻をやっていたときの、刀(とう)を使ったら割と簡単でした。出来栄えは満足いくものではありませんが、素人の作として遊び心を楽しみました。前からの写真
 

 後ろからでは

 製作年月と製作者名はちゃんと入れました。肥前狛犬は現在残っているものは700体以上ではないでしょうか。今まで見たもののうちで、彫り易そうで、拾ってきた石の形にあうものにしたらこのようになりました。
 肥前狛犬の定義は製作年では、300~200年前に作られたものとなりますので、これは肥前狛犬ではありません。「肥前狛犬を模した現代の狛犬」というところでしょう。
 神社に奉納されているのは、ア・ウン一対が一般的ですから、また適当な石を見つけたら、似たようなものをもう一つ彫りたいと思っています。

 今年の4月口石金比羅さんの春祭りの折、この神社に奉納しました。

この中です。

 ここには、中央に金比羅神社、左に黒髪神社、右に宮地嶽神社と3つの石の祠があります。その間に置かれました。


 1体だけですから、何とも落ち着きが悪く感じられます。適当な砂岩を見つけたら、もう1体彫って、1対になるようにしたいものです。


次回からはまた肥前狛犬のシリーズです