2015年11月9日月曜日

2.佐世保市小佐々の石塔群

小佐々の石塔群  
 西海国立公園の九十九島に面した小佐々には、西彼杵産の緑泥片岩で造られた古い石塔が数多く残っています。海の交易が昔から行われていたということでしょう。小佐々郷土館にはこの中でも寄せ集めではない正体のものが4基保存、展示されています。
 右2基は宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれるもので、建造年が読み取れます。右端から、この宝篋印塔は鎮信鳥居を探し回っていた時から、教えてもらっている、地方史家の吉永等さんが小佐々町平原免沖田山東側山麓の旧墓地で1997年9月に発見されたものです。なぜか発見者の名前は記されていません。
基礎にある刻字には、応仁2年(1468)の文字がはっきり読み取れます。発見された場所は寺があったところではなく、当時、小佐々を治めていた小佐々氏の有力者の墓ではなかろうかと考えられています。
 
 この石材は緑泥片岩と呼ばれるもので、古いものでも文字が良く読めます。土ぼこりを落としたら、応仁の文字が見え、その時は身震いがしたと発見当時のことを昨日のことのように吉永さんは話されています。
 
 宝篋印塔の部分名称について
 右から2番目の宝篋印塔は応永31年(1424)の銘がはっきり見えます。「前住当山月堂庵主」と読めるので、お坊さんの墓と見ていいのではないでしょうか。
小佐々の永徳寺の墓地にあったものです。左2つは五輪塔で、14世紀、南北朝時代のものと説明文がついています。
 
 

いずれも、緑泥片岩製の完全なものです。小佐々の古刹永徳寺の墓地にあったものです。小佐々のこの頃の歴史がはっきりしないのに、これだけのものが、この田舎に現存することは非常に珍しいのではないでしょうか。
 現在の永徳寺の墓跡には寄せ集められた墓石が雑然と置かれています。緑泥片岩製のものが、不完全なものを含めて200基ほど残っているのは、長崎県内ではここだけです。
 
次回は佐世保市中里地区の宝篋印塔について書きます
 
 
 
 
 
 

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