2015年11月16日月曜日

3.佐世保市中里地区の宝篋印塔

(1)新豊寺(しんぽうじ)跡
 中里駅裏のお堂のところに、古い石仏、石碑、六地蔵などが寄せ集められています。この寺は佐世保では最も古い寺かもしれません。というのも、宗家松浦が今福から相浦へ移った頃、初めに建てられた寺といわれています。宝篋印塔の小型のもの2基が石垣の上に並んでいます。
 

  大型のものは正面からは写真に収められませんが、これら3基は正体のもので、いずれも緑泥片岩製ですが、刻字が読めないので、建造年も誰の墓か供養塔かもわかりません。


  
 (2)東漸寺墓地の宝篋印塔
 こちらのものは、宗家松浦の13代目の当主、源盛(さかり)の墓と良くわかります。宗家松浦家とは平戸松浦家(こちらは本家と言っている)と祖先を同じくしていて、戦国時代に今福から相浦に移り住んでいたが、平戸松浦に攻められて、平戸の軍門に下っています。江戸時代には、幕府武州葛飾郡内で、3000石の旗本として子孫は明治まで続いています。

 
   基礎の刻字は現在はっきりしませんが、佐世保市の文化財に指定された頃は読めています。 

     当時、拓本に採った文字を紹介します。源盛、前丹州太守など記され、建造年が応仁元年(1467)とありますから、史実とも合致します。宗家松浦家の系図では盛の生年は応永29年(1422)で没年は応仁元年です。

 

 
     墓石 や供養塔ばかり続きましたが、これらのものは非常に数多くありますので、次回からは他のものにします。しばらくは石垣の気に入ったものを紹介します。
 
 

 
 
 
 
 
 

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