2015年11月2日月曜日

1.長崎県最古の五輪塔

はじめに
  鳥居や六地蔵塔をブログに書き、その他にも多くの石碑、墓石、石橋、石垣、棚田など石造りの建造物を見て回っていると、コンクリートとは違った何かしら暖かみを感じます。年月の経過により、丸みをおび苔むしていても、その時代を偲ばせてくれます。
  特に、九州には古くから石の文化が根付いていたようです。これらの埋もれた、人々の生活の中で築き上げられたものを長崎県北部を中心に古いものから新しいものまで見つめていきます。

長崎県最古の五輪塔
 
五輪塔部分の名称について

 (この図は諫早市の文化財、諫早市教育委員会編集発行のものを使わせてこらいました)
 
 最初に取り上げたのは、長崎県東彼杵郡川棚町の資料館に現在は保存展示されている「永仁五輪塔」と呼ばれているものです。文字通り永仁5年(1297)の銘が刻まれています。建造年がはっきり分かるものとしては、長崎県では最も古いものです。
 この石材は緑泥片岩(りょくでいへんがん)と呼ばれるもので、長崎県の西彼半島、西海市周辺で古くから産出していて、船による交易で、長崎県の沿岸部にかなり現存するものがあります。この石の特質は、やわらかくて加工し易いにもかかわらず、文字を刻んだら非常にシャープな線がくずれずに残ります。次の拓本の文字をご覧ください。
 建造者の「比丘尼法阿」の名前もよく分かりますがこの人は源長盛の後家さんですが、源長盛のことは何も分かっていません。しかし、源姓ということは平戸の松浦家の祖松浦党に何かしら関係があるのではなかろうかと考えたくなります。五輪塔は墓や生前供養のため造られたものが多いのですが、この五輪塔は川棚町上組郷の七浄寺跡から出土したもので、比丘尼法阿さんが生前供養のため建てたものと思われます。今の七浄寺跡には寄せ集められた石塔が雑然とあり、近くには河原(こうばる)城跡の遺跡もあります。
七浄寺跡
 長崎県の石碑類で最も古いのが、ここのもので1297年の鎌倉時代ですから、不思議な感じもします。対馬や壱岐は古くから開けていたところで、長崎県の城跡で古いものは対馬にあります。大陸から文明文化が対馬、壱岐そして九州へと伝わってきた歴史を考えると特に、対馬にはもっと古いものがあって良さそうですが、現存しないということは、腕の良い石工が居なかったのではなかろうかと思ったりもします。

 
 
 



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