2017年9月25日月曜日

100.大村市東光寺跡の石塔

東光寺跡の石造仏群(大村市一ノ郷東光寺)
 前回に引き続き、大村市の福重地区です。ここの調査には熊本県の文化財審議委員の前川清一氏が当たられ、それを多久市の永渕さん、地元郷土史家の上野さんと一緒に見守りました。その後、前川さんから詳しい調査報告書が文書でいただきましたので、それを基に書き進めます。

1.正和三年(1314)銘宝塔


 この石碑に関しては、大村市史や説明板では正和5年(1316)と書かれていますが、拓本を採ってもはっきりせず、LEDライトで照らして詳しく調べても、縦線が見られないので、五ではなく、三であると前川さんは結論づけられました。

2.応永27年(1420)銘宝篋印塔
3.宝徳4年(1452)銘石塔
4.文明10年(1478)銘宝篋印塔
5.天文10年(1541)銘石塔 
 この狭い敷地内には以上5基の石塔が年号が記されていて、いずれも中世のものがあるというのは、珍しいものです。

 ここには、江戸時代のものがありません。大村は戦国時代末期に大村純忠がキリシタン大名となり、寺院や神社は破壊され尽くされたといわれます。この福重地区には中世には七坊十山の寺院があったとされますが、どれ一つ現在残っているものはありません。記銘年が分からない線刻の板碑は平安時代のものだろういわれる古いものもこの地区には残っています。

 この敷地の横に大きなこの「三伯」と書かれた石碑がありますが、これが何を意味するのかは皆目わからないそうです。

次回は自作の狛犬です








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