2017年8月7日月曜日

93.佐々町の参道狛犬

佐々町の参道狛犬
 肥前狛犬のことばかり書いていたら、近くのお寺の前住職の奥さんが書いておられるブログに、剪定をしたら、獅子狛犬が見つかったとあったので早速見に行きました。

(1)正福寺(佐々町口石)



 向かって右側が、ア像、左がウン像です。奉納者は大徳榮盛、明治38年11月です。
 ここは真宗の寺ですが、獅子狛犬が1対あるのが不思議です。奉納者の大徳家は神田(こうだ)で、この寺の檀徒ではないそう、寺でも大徳家の子孫の人もなぜここにあるか分からないそうです。

(2)八幡神社(神田)
 この神社には神主さんは常駐はしていませんが、神田町内会の人たちが熱心に守っています、今も境内の工事のために業者が入り整備されています。狛犬は新旧2対、4体の参道狛犬がいます。古い方から



 ア像の口は少し欠けていますが、健在です。奉納者は大徳榮盛、明治38年11月ですから、正福寺のものと同時です。姿かたちも同じに見えます、明治38年ということは日露戦争の戦勝記念ということではないでしょうか。大徳さんが同じものを2対同じ石工に注文したのでしょうが、石工の名前は彫られていません。
 新しいものは


 平成27年11月、奉納者は小川良考とあります。小川さんは近くの会社の社長さんだそうです。この場所は拝殿の前で、以前ここに古い狛犬がいて、新しいのが来た時に参道の鳥居の所へ移されたそうです。古いのは先代狛犬となったのです。

(3)熊野神社(松瀬)
 この神社には友田神主さんが代々継がれ、現在17代だそうです。
 


 この鳥居は元文4年(1739)ですから、佐々では2番目に古いものですが、しっかり立っています。額は明治になり書き直されたものでしょう。
 右側のアの狛犬から

 奉納者は大徳榮盛、明治40年9月です。これで大徳榮盛さんが奉納した獅子狛犬が佐々に5体残っています。曾孫に当たる子孫の人に話を聞きましたが、祖父の話として、自宅から見えるところは全てうちの土地だとのことでした。

 左側のウン像は

 奉納者は橋川廣三、明治41年3月ですから、アとウンでは半年の時差があり、奉納者も違います。他では見かけないことです。
 橋川廣三の子孫(曾孫)の橋川隆さんに話を聞くことができました。祖父から聞いた話として、曾祖父が熊野神社に狛犬を奉納されたそうですが、曾祖父の名前は廣三郎が本当だそうです。
 
 知り合いの17代宮司に聞いたら、近くの鎌倉神社から持ってきて合祀している、焼き物の狛犬があるとのことで早速写真を撮りました。

 拝殿内の神殿に上がる両側に1対2体あります。右側ア像は上顎が少し欠けていますが

 ウン像の背中には何か入れたのでしょうか、取り外せるようになっています。


 この焼き物の狛犬は、加藤民吉が造ったものと伝承されているそうです。加藤民吉とは江戸時代後半、尾張の瀬戸から磁器の製法を学ぶために、佐々皿山に潜り込み、磁器焼きの窯つくりも含めてすべて学び取り、瀬戸に帰り、今でいう「瀬戸物」の始まりとなりました。瀬戸市の神社には「磁祖」の神様として祭られている人です。
 今となっては確かな証拠はありませんが、民吉が修行した皿山のすぐそばの鎌倉神社に奉納されていたもので、平成23年に熊野神社に移されています。

(4)三柱神社(里)
 起源は貞元2年(997)平安時代中頃という古い神社ですから、参道狛犬もいるだろうと行ってみましたが、全くありません宮司さんに聞いたら、木造の狛犬ならありますとのことでした。
 

 狛犬の場合石像よりも木彫の方が古いものですから、この拝殿入り口両側にあるものは、かなり古そうでしたが、神社には何も記録がないそうです。のみで削ったあとも鮮やかなものです。

次回は平戸の石橋です






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