武雄市郵便局横の祠
永渕さんに案内してもらい出かけました。写真を撮ろうとしたら肥前狛犬が見当たりません。
お地蔵さんや恵比寿さんなどの他の石仏はありましたが、肝心の肥前狛犬がいません。すぐ横の家の人に聞いたら、最近になって、古物商がやって来て、これを譲ってくれと言われ、5000円を置いて行かれたそうです。家人が肥前狛犬のことを知らなかったので、だまして持って行ったみたいです。
ここの肥前狛犬は、以前、永渕さんが写真に撮っておられたのでそれを拝借します。
素朴な肥前狛犬が、1体だけあったのが、現在はありません。持って行った古物商の名前も分かりませんでした。民家の人も自分のものでもないのに、売り払うというのはおかしなものです。どこかで見つかって早く帰ってきてほしいものです。
次回は武雄市2です
2018年1月8日月曜日
2018年1月1日月曜日
号外.江戸時代の石造り馬小屋を発見
佐々宿にあった馬屋跡
佐々町には江戸時代、平戸街道が通っていて宿場や本陣屋敷などもありました。代官屋敷跡、佐々村庄屋跡も場所は特定されています。伊能忠敬一行が測量で来た時の宿も分かっています。しかし、宿場にあったはずの驛(うまや)は平戸街道ネットワークの会でも分かっていませんでした。
平戸藩でも江戸時代の早い時期に駅逓制度が定められ、田平の日の浦に中心の馬屋があり、江迎宿、佐々宿、中里宿、佐世保宿、早岐宿、御厨宿、志佐宿、今福宿に合わせて45頭の馬がいたと記録が残っています。平戸藩では、馬屋のあったところを「馬指(うまさし)役所」と呼んでいます。江迎の場合は馬指役所跡が後に江迎町の役場になりました。しかし、佐々町では馬屋は分かっていませんでした。石の文化を探し歩いていた私に、偶然にも佐々宿の馬屋跡にたどり着くことができたのでした。
現在工事中ですが、「驛(うまや)」というカフェができるそうです。建物と看板は出来ています。オーナーはこの屋敷で生まれ育った方ですが、2年間考えた末にこの名前を決めたそうです。ふさわしいと思いました。建物の外観は新しいですが、中の柱や梁は古くて、江戸時代のものもあるかも知れないそうで、解体前に見学会で見た人は大きくて素晴らしかったとびっくりしていました。オープン後に行くのが楽しみです。
この屋敷は代々、前田家が馬屋をやっていたそうです。前田家の家紋は〇の中に前の文字を図案化したもので、平戸の殿様からご褒美にもらわれたそうです。
ここから数軒離れた所の98歳になる長老(宮村宇一郎さん)に話を聞くことができました。この馬屋のある家のことを昔から「宿(しゅく)」と屋号のように呼んでいたそうです。馬屋は当然街道筋にあったはずですから、納得がいきます。
このカフェのオープンは2月以降だそうですから、その後、客として行き報告したいと思います。
佐々町には江戸時代、平戸街道が通っていて宿場や本陣屋敷などもありました。代官屋敷跡、佐々村庄屋跡も場所は特定されています。伊能忠敬一行が測量で来た時の宿も分かっています。しかし、宿場にあったはずの驛(うまや)は平戸街道ネットワークの会でも分かっていませんでした。
平戸藩でも江戸時代の早い時期に駅逓制度が定められ、田平の日の浦に中心の馬屋があり、江迎宿、佐々宿、中里宿、佐世保宿、早岐宿、御厨宿、志佐宿、今福宿に合わせて45頭の馬がいたと記録が残っています。平戸藩では、馬屋のあったところを「馬指(うまさし)役所」と呼んでいます。江迎の場合は馬指役所跡が後に江迎町の役場になりました。しかし、佐々町では馬屋は分かっていませんでした。石の文化を探し歩いていた私に、偶然にも佐々宿の馬屋跡にたどり着くことができたのでした。
上の写真石造り馬小屋の跡、右側の道路が平戸街道と言われているものです。正面から見ると、出入り口がありますが、最初の屋根は藁ぶきだったでしょうがすでに朽ち果てたものでしょう。砂岩の大きな石を組んだものは、他にも用途はあったでしょうが、使い回しされずに完全な形で残っています。平戸藩内でここだけしか見当たりません。
この屋敷は代々、前田家が馬屋をやっていたそうです。前田家の家紋は〇の中に前の文字を図案化したもので、平戸の殿様からご褒美にもらわれたそうです。
ここから数軒離れた所の98歳になる長老(宮村宇一郎さん)に話を聞くことができました。この馬屋のある家のことを昔から「宿(しゅく)」と屋号のように呼んでいたそうです。馬屋は当然街道筋にあったはずですから、納得がいきます。
このカフェのオープンは2月以降だそうですから、その後、客として行き報告したいと思います。
114.佐賀県白石町の肥前狛犬6
白石町6
ここも場所を特定することはやめておきます。1体だけの肥前狛犬です。おそらく他の所にあったものを後世この場所に移動させたと思われます。
隅に追いやられたようなところに寂しくたたずんでいました。
次回からは佐賀県武雄市の肥前狛犬です
ここも場所を特定することはやめておきます。1体だけの肥前狛犬です。おそらく他の所にあったものを後世この場所に移動させたと思われます。
隅に追いやられたようなところに寂しくたたずんでいました。
次回からは佐賀県武雄市の肥前狛犬です
2017年12月25日月曜日
113.佐賀県白石町の肥前狛犬5
白石町5
ここは神社名を伏せます。鳥居の所に1体と石祠の両脇に1対2体の肥前狛犬がいますが、いずれも風化が激しく顔の形ははっきりしません。
鳥居のそばの1体はなぜか手水鉢の中に入っています。
石の祠は新しいもののようですから、この肥前狛犬よりもずいぶん後の時代に作られたものと思われます。
次回は白石町6です
ここは神社名を伏せます。鳥居の所に1体と石祠の両脇に1対2体の肥前狛犬がいますが、いずれも風化が激しく顔の形ははっきりしません。
鳥居のそばの1体はなぜか手水鉢の中に入っています。
石の祠は新しいもののようですから、この肥前狛犬よりもずいぶん後の時代に作られたものと思われます。
次回は白石町6です
2017年12月18日月曜日
112.佐賀県白石町の肥前狛犬4
澤原大権現
白石町坂田にある坂田集落の氏神様です。2対4体の肥前狛犬がありました。すぐ近くの昔は、庄屋さんだったところの人が神社のカギを管理されています。
白石町坂田にある坂田集落の氏神様です。2対4体の肥前狛犬がありました。すぐ近くの昔は、庄屋さんだったところの人が神社のカギを管理されています。
坂田には子供のころ従弟たちがいたので、時々遊びに行ったことがありました。しかし、この神社に行くのは今回が初めてでした。
帰ってから現在、北九州在住の従弟に電話して、坂田の肥前狛犬の話をしたら、いつか一緒に坂田に行ってみようということになりました。楽しみが増えました。
次回は白石町5です
2017年12月11日月曜日
111.佐賀県白石町の肥前狛犬3
座主坊の肥前狛犬
白石町の稲佐神社の一角にあるお寺、座主坊の本殿の両脇に1対の肥前狛犬が置かれています。ここは安心して紹介ができます。稲佐神社の参道に沿って、左右8坊、合わせて16坊の真言宗のお寺があったそうですが、現在では、座主坊のほかには、観音院と玉泉坊の3寺だけが残っています。
1体はきれいにしていますが、もう一体はひび割れがひどく狛犬らしく見えません。神仏混淆の頃、稲佐神社に奉納されたものでしょうが、傷みがひどくなって近くのお寺の本堂に取り込まれたのではないでしょうか。
この稲佐神社には、肥前鳥居もあります。佐賀県では最も古い肥前鳥居です。堂々たる大きなものです。
鳥居の柱には、天正13年(1585)と刻まれているのが読めます。この杵島山一帯は、平安時代からの記録が残っていて、歌垣の石や水堂(みっど)さんとか、和泉式部の伝説も伝わっているところです。母方の祖母を私の車に乗せて、一緒に廻ったときも稲佐神社にも来ましたが、なんとなく通ったばかりでした。稲佐神社では今も流鏑馬が行われているということを聞いたのだけは覚えています。
次回は白石町4です
白石町の稲佐神社の一角にあるお寺、座主坊の本殿の両脇に1対の肥前狛犬が置かれています。ここは安心して紹介ができます。稲佐神社の参道に沿って、左右8坊、合わせて16坊の真言宗のお寺があったそうですが、現在では、座主坊のほかには、観音院と玉泉坊の3寺だけが残っています。
1体はきれいにしていますが、もう一体はひび割れがひどく狛犬らしく見えません。神仏混淆の頃、稲佐神社に奉納されたものでしょうが、傷みがひどくなって近くのお寺の本堂に取り込まれたのではないでしょうか。
この稲佐神社には、肥前鳥居もあります。佐賀県では最も古い肥前鳥居です。堂々たる大きなものです。
鳥居の柱には、天正13年(1585)と刻まれているのが読めます。この杵島山一帯は、平安時代からの記録が残っていて、歌垣の石や水堂(みっど)さんとか、和泉式部の伝説も伝わっているところです。母方の祖母を私の車に乗せて、一緒に廻ったときも稲佐神社にも来ましたが、なんとなく通ったばかりでした。稲佐神社では今も流鏑馬が行われているということを聞いたのだけは覚えています。
次回は白石町4です
2017年12月4日月曜日
110.佐賀県白石町の肥前狛犬2
白石町2
ここも神社名は公表を控えます。2対4体の肥前狛犬がおりました。
石の祠の前に、ひっそりと向かい合ったのが2組、古色蒼然としています。雨ざらし日ざらしで、多少位置替えはあったかもしれませんが、300年以上経過したものと思えます。苔を落としてしまえば元の形と違うものになるかも知れません。
次回は白石町3です
ここも神社名は公表を控えます。2対4体の肥前狛犬がおりました。
石の祠の前に、ひっそりと向かい合ったのが2組、古色蒼然としています。雨ざらし日ざらしで、多少位置替えはあったかもしれませんが、300年以上経過したものと思えます。苔を落としてしまえば元の形と違うものになるかも知れません。
次回は白石町3です
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