2016年5月9日月曜日

28.佐賀藩と大村藩の境石


長崎街道俵坂関所跡
 佐賀県嬉野市と長崎県東彼杵郡の佐賀藩と大村藩の境の俵坂峠にあります。
 ここの分は、佐賀のもので、これより北は佐嘉領と書かれています。すぐ横に、見上げるような大きな関所跡の記念碑が、昔佐賀藩の鹿島藩主の子孫、鍋島直紹が佐賀県知事になった時、昭和になってから建てられています。欠点はあまりに高いので、当時の嬉野町の説明の銅板が埋め込まれていますが、黒ずんでいて読めません。
 
 長崎街道はここを通っていて、通行できますが、すぐ上の段に国道34号線があり、関所跡の表示がされています。



 長崎県側の大村藩領にも、石柱がありました。これは江戸時代には佐賀藩領の境界石と並んであったとのことですが、明治の国道建設後、その所在が分からなくなっていたそうですが、昭和33年俵坂バス停付近の土中に上の部分が欠けた姿で発見され、元の所から200mほど離れた現在の場所に移されました。

 この藩境石は江戸時代の記録では、5尺5寸・・・1.7mの高さで、佐賀藩のものは2.85mですから、並んで立っていれば、その違いを見せつけていたのでしょう。佐賀は35万石の大大名、大村は2万石の小さな藩、封建時代とはこんなものでしょうか。この境石には「従是(これより)大村領」と書かれていたそうです、上半分はいまだに見つかっていないみたいです。

次回は平戸・志々伎山の道しるべです






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