2019年1月28日月曜日

170.有浦天満宮(佐賀県玄海町)

有浦天満宮(玄海町)
 玄海町は平成の合併のとき、どことも合併せずに単独で町のままです。ここには、玄海原子力発電所があり、その交付金で町は潤っているようです。
 以前、この町の浜野浦棚田を訪ねたとき、この付近の他の棚田とは全く違って、周囲がよく整備されているのには驚きました。駐車場はもちろん、遊歩道は舗装され、階段にも立派な手すりが付いています。幸せの鐘「エターナルロック」なるものもあります。不思議に思っていましたが、ここが玄海町であることに気付き、なるほど原発交付金がこんなところにも使われているのかと納得しました。



 鳥居脇に1対2体の狛犬です。今までの肥前狛犬とは少し違い、首回りに模様が見えます。この狛犬には、天明7年(1787)の記年名がありますので、時代的に肥前狛犬ということになります。

次回は石工の里(徳永氏の里)に行きます






2019年1月21日月曜日

169.住吉神社(唐津市肥前町)

住吉神社(唐津市肥前町)
 肥前町は平成の合併で、唐津市に合併しました。以前、いかだレースにやって来た時は4人組で漕いだけど4.2キロはきついものでした。その時、かなり大きな鯛を1匹塩焼きにして食べたのは旨かったのを覚えています。
 この神社は海岸から離れた山の中にありますが、規模も大きく古くて威厳がありそうなたたずまいでした。

 堀をめぐらして、手入れも行き届き、アーチの石垣もありますが、どこの神社も普段に訪れる人はいないみたいです。




 1対2体のこの肥前狛犬は、他の所のものと姿勢が違っています。前足が長く蹲踞の恰好をしていますが、前足の間がくりぬかれていないのは肥前狛犬の特徴を示しています。建立年が安永8年(1779)と分かり、以来ずっと屋外に置かれていたらしく、石の痛み方はひどいようです。

次回は玄海町に行きます






2019年1月14日月曜日

168.ふろおけ大明神(唐津市)

ふろおけ大明神(唐津市)
  田んぼのあぜ道に、ふろおけを横にしてその中に1対2体の肥前狛犬が納められています。ここは、何の表示もなく神社名などは見当たりません。近くの山の中に祭られていた祠はあったのでしょう。見に行った我々が勝手に「ふろおけ大明神」と名付けました。

 お茶やペットボトルや柴も飾られているので、普段からお参りに見えているようです。
 せっかくですから、狛犬さんには風呂桶からお出まし願って、写真を撮らせてもらいました。


 ア・ウンははっきりしませんが、肥前狛犬の特徴がはっきりしたものです。

次回は肥前町に行きます







2019年1月7日月曜日

167.西雲寺の肥前狛犬(伊万里市)

西雲寺の肥前狛犬(伊万里市)
 お寺のお堂の中に、お地蔵さんや観音様の石像と一緒に肥前狛犬が1対2体納められていますから、神仏混淆のなごりと思われます。


 肥前狛犬としては、ヘアースタイルが独特でパーマネントをかけたようにしています。

 このお寺の住職は女性のお坊様でした。本堂の外にも小さなお堂がいくつもありましたが、どこもきちんと手入れが行き届いて狛犬さんたちも大切にされています。

次回はふろおけ大明神です







2018年12月31日月曜日

166.佐世保市広田町の瓦造り狛犬

佐世保市広田町の瓦造り狛犬 
 佐世保市の早岐には平戸瓦という独特の瓦がわずかですが、残っていて平戸街道ウォーキングの時に見ていました。普通の瓦が軒下から見て、左側で重ねているのに対して、平戸瓦は右側で重ねています。良く見ないとわかりません。
 筒井隆義著「改訂増補版 させぼ歴史散歩」によると、早岐の広田町の一角、納屋谷(なやのたに)に瓦製の狛犬があるというので見に行き写真を撮ってきました。




 ア・ウン1対とやや小さいも1基合わせと3基の瓦製狛犬です。ア像の足の部分には、文政元年(1818)の年号と丸田伊代吉の名が刻されています。200年経っていますが、はっきりと読み取れるのは、粘土をこねて作りまだ柔らかい内にへらで彫りこんだものだからでしょう。ア像の口を開けたところが割れているのも焼き物の特徴です。ここには石の祠もありますが、瓦で造られた祠も3個あります。

 この場所は、戦国時代末期、平戸松浦方の広田城があったすぐそばの高台です。赤い木の鳥居は朽ちたのがありますが、瓦ぶきのお稲荷さんのお堂もあり中に掲げられている寄付者の名前には、丸田姓が数名ありました。

 
 この付近は新しく開発されて住宅街になっています。お堂の下には登り窯があったと思われる段々が続いていて、最下部には窯の焚口の埋もれたものが残されています。

 この付近には、白磁のかけらや瓦の残欠があちこちに見かけられます。丸田家の窯もあったことでしょう。平戸瓦については江戸時代の文書が残されていて、それによると「丸田家の祖先は木原の焼物師だったが、平戸城を築立てのとき瓦を焼く者がいず、瓦焼きを仰せ付けられた。そこで瓦用の土を求めて広田村に移り住み、焼きたてて収めたところ城普請も成就した」と記されています。平戸城(亀岡城ともいう)再築は元禄16年(1703)に幕府の許可を得、享保3年(1718)に完成しています。
 納屋谷一帯は焼き物窯があり、細工場や民家もあったでしょう。現在も民家がありますが、自動車は入れない狭い道しかないのが今時珍しい所です。

次回は平戸街道に駅逓制度の馬屋の石造り馬小屋跡を発見














2018年12月24日月曜日

165.大牟田市教楽来天満宮の石造り狛犬

大牟田市教楽来天満宮の石造り狛犬
 教楽来(きょうらぎ)天満宮ですから、天満宮が3か所続きました。大牟田といっても荒尾に近い山の中のさびしい所でした。階段を上った山門は昔は立派なものだっただろうと思わせるたたずまいで、石造り狛犬1対の外に、藤原道真公の木像も古いものが安置されていましたが、最近この神社を訪れる人はあまりないようです。本殿前の広場はイノシシのぬた場みたいで、荒れたままになっていました。
 石造り狛犬は山門のところの格子戸の中に収められていたので、薄暗く、写真を撮るのに苦労しました。

















 説明板によると、この狛犬は奉納者が「藤原秀行」と記され、室町時代1460年代と思われるものですから、九州では最も古い石造り狛犬ではないでしょうか。  
 上杉千郷著「日本全国 獅子・狛犬 ものがたり」の中に京都丹後一の宮、籠(この)神社の石造り狛犬が掲載されていて、教楽木の狛犬と酷似しているので、コピーします。

 私が撮った写真は全体像がはっきりしませんが、ネットで調べたらよく写った写真があったので、紹介します。


 京都のものは、ア像の口が大きく開き、ア・ウンの違いがはっきりしますが、教楽木天満宮のものは、ア・ウンがはっきりしませんが、両者はよく似ていますね。京都の狛犬は鎌倉時代の作(年代不明)で、重要文化財に指定されています。
 上杉さんの本では、石造り狛犬としては、奈良東大寺の狛犬が最も古いものだそうですが、これは中国石を使い中国人によって刻まれたものだそうです。その後、これをモデルとして日本に石造り狛犬が広まっていき、最初の頃は、中国風だったけど、日本風な狛犬の最初のものは、京都の籠神社のものであると書かれています。
 私の感じとしては、京都の狛犬を刻んだ人を、京都から来た藤原一族が連れてきて、刻ませたのではなかろうかと思いましたが、少し時代が合わないようです。しかし、京都の籠神社の狛犬を見たことがある人が彫ったのは確かだろうと思います。

次回は瓦製の狛犬です







2018年12月17日月曜日

164.久留米市(2)藤吉天満宮の肥前狛犬

藤吉天満宮の肥前狛犬
 こちらも天満宮さんです。菅原道真公を祀った神社は多いですね。



 中型の立派なものですが、ア・ウンは、はっきりしませんが、ア像と思われるものの右足が折れているのが、痛々しく残念です。ここも宮司さんはいませんが、神社の管理は行き届いています。

次回は大牟田市の教楽来天満宮の石造り狛犬です