妙覚寺(多久市南多久町桐野)
佐賀県には、数多くの石仏など石像の宝庫です。肥前狛犬の研究家と知り合いになり、薩摩塔も紹介していただきました。
妙覚寺には肥前狛犬もいましたが。薩摩塔も2基ありました。(1)屋根と台座(これは他のものか)は苔むしています。
(2)
こちらも、台座は宝篋印塔のものを、借用しているようです。これらは、肥前狛犬を見にきて、出合った薩摩塔です。
他にも、長崎県では、大村市にも薩摩塔は1基あるそうですが、出かけたときに写真が撮れれば紹介します。
九州の西側、長崎、佐賀、福岡、鹿児島県にだけ薩摩塔はあり、現在40基ほどが知られています。
次回は佐々川の河口に残る渡し場跡の石を書きます
2016年8月29日月曜日
2016年8月22日月曜日
43.薩摩塔(9)下寺観音堂
下寺観音堂(平戸市田平町下寺)
なだらかな農地が広がる田園地帯の観音堂は、最近になって、きれいに整備されています。その一角に薩摩塔が2基ありました。
(1)大きいもの
須弥壇の下部が欠落していますが、屋根部がきちんとしているのは珍しいものです。
(2)小さいもの
こちらは、塔らしく、上に他の寄せ集め物を載せていますが、これらは薩摩塔とは関係ないものでしょう。下の塔身のみは本物でしょう。
これで、平戸市内9か所、13基の薩摩塔と3基の宋風獅子の紹介は終わりますが、県内では大村市に薩摩塔の残欠があると報告されていますが、機会があれば写真を撮りに行きます。
次回は佐賀県多久市の薩摩塔です
なだらかな農地が広がる田園地帯の観音堂は、最近になって、きれいに整備されています。その一角に薩摩塔が2基ありました。
(1)大きいもの
須弥壇の下部が欠落していますが、屋根部がきちんとしているのは珍しいものです。
(2)小さいもの
こちらは、塔らしく、上に他の寄せ集め物を載せていますが、これらは薩摩塔とは関係ないものでしょう。下の塔身のみは本物でしょう。
これで、平戸市内9か所、13基の薩摩塔と3基の宋風獅子の紹介は終わりますが、県内では大村市に薩摩塔の残欠があると報告されていますが、機会があれば写真を撮りに行きます。
次回は佐賀県多久市の薩摩塔です
2016年8月15日月曜日
42.薩摩塔(8)海寺跡
海寺跡
平戸市田平町の桟橋近くの、海寺はいかにも古そうなたたずまいをしています。廃寺になっているのですが、屋敷はそのまま残っていて、昔の住職の子孫の方が現在お住まいです。
春になると木蓮の巨古木には、真っ白な花が咲き、テレビなどマスコミでも紹介されるので、見物人も多いようです。元々、神仏混淆の所ですから、敷地の奥まったところには、お堂は今もあります。この辺りは大木や南国を思わせるビロー樹なども生い茂り昼なお、薄暗く、石畳の所には、役の行者「役小角」が護摩壇を作り修行をしたとの説明書きがあります。ここには、薩摩塔2基と宋風獅子も2基あったとのことですが、これらは現在、田平町の里田原の資料館に移され展示保存されています。
(1)展示されているもの
これを見ても何か良く分かりません。右側が薩摩塔(部分)で、左側が宋風獅子とのことですが、どちらも石が割れて原型をとどめていません。
(2)収蔵庫の中のもの
収蔵庫の中に入って写真を撮ることができました。
これが薩摩塔で、次のが宋風獅子とのことですが
収蔵庫の中のものは、塔を立てることができないので、横にして置かれていました。上の写真では、右が薩摩塔の部分、左は宋風獅子のお尻の辺と思われます。
ここには、ばらばらになったもの4基分を持って来ていて、十分には検証がされていないようです。専門家にきっちりと復元していただきたいものです。
次回は下寺観音堂です
平戸市田平町の桟橋近くの、海寺はいかにも古そうなたたずまいをしています。廃寺になっているのですが、屋敷はそのまま残っていて、昔の住職の子孫の方が現在お住まいです。
春になると木蓮の巨古木には、真っ白な花が咲き、テレビなどマスコミでも紹介されるので、見物人も多いようです。元々、神仏混淆の所ですから、敷地の奥まったところには、お堂は今もあります。この辺りは大木や南国を思わせるビロー樹なども生い茂り昼なお、薄暗く、石畳の所には、役の行者「役小角」が護摩壇を作り修行をしたとの説明書きがあります。ここには、薩摩塔2基と宋風獅子も2基あったとのことですが、これらは現在、田平町の里田原の資料館に移され展示保存されています。
(1)展示されているもの
これを見ても何か良く分かりません。右側が薩摩塔(部分)で、左側が宋風獅子とのことですが、どちらも石が割れて原型をとどめていません。
(2)収蔵庫の中のもの
収蔵庫の中に入って写真を撮ることができました。
これが薩摩塔で、次のが宋風獅子とのことですが
収蔵庫の中のものは、塔を立てることができないので、横にして置かれていました。上の写真では、右が薩摩塔の部分、左は宋風獅子のお尻の辺と思われます。
ここには、ばらばらになったもの4基分を持って来ていて、十分には検証がされていないようです。専門家にきっちりと復元していただきたいものです。
次回は下寺観音堂です
2016年8月8日月曜日
41.薩摩塔(7)誓願寺
誓願寺の墓地にある薩摩塔
平戸市戸石川町の誓願寺には六地蔵塔が数多くあるので、何度も写真を撮りに来ていました。特に3メートルを超える非常に高い六地蔵塔は珍しいものでした。そこの墓地の一画にありました。
古い五輪塔の残欠などを寄せ集めたところで、右側のは、無縫塔ですから坊さんの墓でしょう。この薩摩塔も全部は揃ってなく、専門家は須弥壇上部と塔身のみと説明されています。
かなり小さいものですから、探すのに苦労しました。周りを考えたら、元々ここにあったものかどうか分かりませんが、別の所にあったものを片付けたという感じがします。
次回は海寺跡の薩摩塔です
平戸市戸石川町の誓願寺には六地蔵塔が数多くあるので、何度も写真を撮りに来ていました。特に3メートルを超える非常に高い六地蔵塔は珍しいものでした。そこの墓地の一画にありました。
古い五輪塔の残欠などを寄せ集めたところで、右側のは、無縫塔ですから坊さんの墓でしょう。この薩摩塔も全部は揃ってなく、専門家は須弥壇上部と塔身のみと説明されています。
かなり小さいものですから、探すのに苦労しました。周りを考えたら、元々ここにあったものかどうか分かりませんが、別の所にあったものを片付けたという感じがします。
次回は海寺跡の薩摩塔です
2016年8月1日月曜日
40.薩摩塔(6)御堂前
松浦史料館横の御堂前の薩摩塔
この付近は、通称、お部屋の坂と呼ばれていて、歴代の殿様の側室が住んでいたところです。
この付近は、通称、お部屋の坂と呼ばれていて、歴代の殿様の側室が住んでいたところです。
この御堂には観光用にでしょう、新しい標識がつけられていて、按針坂と書かれています。この坂の上あたりに、三浦按針(英国人、ウイリアム・アダムス)の墓があります。
ここには、六地蔵もあり、以前にも写真を撮りに来ていたけど薩摩塔があることには気づきませんでした。
薩摩塔と六地蔵は並んであります。薩摩塔だけを拡大しますと
何かわからない石の塊です。専門家の説明では、「須弥壇軸部以下のみ」とありますので、薩摩塔の一部分だけとなります。
次回は誓願寺にある薩摩塔です
2016年7月25日月曜日
39.薩摩塔(5)館山是興寺跡
館山是興寺跡の薩摩塔
是興寺跡は松浦史料博物館の上の段の藪の中です。古い墓地が数基ある中に、平戸松浦家15代松浦定(さだむ・肥州公)の墓と言われるものの所に、この薩摩塔があります。
今では荒れた墓地です。この荒れ方を見ると、平戸藩では、9代・10代の藩主の時、家世伝を編集して、昔の殿様の墓を建てたりしていますので、その時に建てられたものかも知れません。
五輪の塔が定公の墓で、左隣に小型の薩摩塔がありました。拡大したら
現在の平戸中学校のすぐ下の段です。近道のためか、藪の中に細い道ができています。中学生がタバコを吸うときに使っているとも聞きました。
それにしても、殿様の墓に薩摩塔があるのは他では見られません。薩摩塔の研究者の論文では、日本に住み着いた中国人商人が、中国から取り寄せて祭ったものらしいと書かれているので少し違和感を感じます。
次回は御堂前の薩摩塔です
是興寺跡は松浦史料博物館の上の段の藪の中です。古い墓地が数基ある中に、平戸松浦家15代松浦定(さだむ・肥州公)の墓と言われるものの所に、この薩摩塔があります。
今では荒れた墓地です。この荒れ方を見ると、平戸藩では、9代・10代の藩主の時、家世伝を編集して、昔の殿様の墓を建てたりしていますので、その時に建てられたものかも知れません。
五輪の塔が定公の墓で、左隣に小型の薩摩塔がありました。拡大したら
現在の平戸中学校のすぐ下の段です。近道のためか、藪の中に細い道ができています。中学生がタバコを吸うときに使っているとも聞きました。
それにしても、殿様の墓に薩摩塔があるのは他では見られません。薩摩塔の研究者の論文では、日本に住み着いた中国人商人が、中国から取り寄せて祭ったものらしいと書かれているので少し違和感を感じます。
次回は御堂前の薩摩塔です
2016年7月18日月曜日
38.薩摩塔(4)桜渓書院跡
桜渓書院跡にあった薩摩塔
桜渓書院とは平戸藩の資料の中では見たことがないものでした。平戸市戸石川町の最教寺の近くにあったもので、記念碑などがあります。
これには、「桜渓書院跡」と篆書体で書かれています。書いた人は、松浦陞(すすむ)とありますから、平戸藩の最後の藩主、詮(あきら)の孫になる人です。平戸藩校の維新館や猶興館は知っていますが、桜渓書院は知りませんでした。いつ頃のものでしょうか。
この場所には現在アパートが建ち、駐車場の端に記念碑はあり、その傍に薩摩塔もあったそうですが、今は、生月町の博物館「島の館」の収蔵室に保存され展示はされていません。
島の館の学芸員の方に手続の後、写真に撮らせてもらいました。個人の所有物とのことです。桜渓書院についても調べることが出てきました。桜渓書院跡にはこんな風にあったそうです。
次回は肥州公墓地の薩摩塔です
桜渓書院とは平戸藩の資料の中では見たことがないものでした。平戸市戸石川町の最教寺の近くにあったもので、記念碑などがあります。
これには、「桜渓書院跡」と篆書体で書かれています。書いた人は、松浦陞(すすむ)とありますから、平戸藩の最後の藩主、詮(あきら)の孫になる人です。平戸藩校の維新館や猶興館は知っていますが、桜渓書院は知りませんでした。いつ頃のものでしょうか。
この場所には現在アパートが建ち、駐車場の端に記念碑はあり、その傍に薩摩塔もあったそうですが、今は、生月町の博物館「島の館」の収蔵室に保存され展示はされていません。
島の館の学芸員の方に手続の後、写真に撮らせてもらいました。個人の所有物とのことです。桜渓書院についても調べることが出てきました。桜渓書院跡にはこんな風にあったそうです。
次回は肥州公墓地の薩摩塔です
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