元寇防塁といえば、博多湾沿いのものが有名ですが、福岡市は大都会となり、開発のため古いものはあまり残ってなく、あとから手を加えたのではなかろうかと思えたりします。
松浦市星鹿の元寇防塁は開発が進まなかったので、昔のままの姿を今だにとどめています。
無造作に積まれた石垣は、海水をかぶる所とそうでない所では石の色合いが違います。波打ち際では、のんびりと魚釣りをする人もいました。ここら辺の海岸は、どこもそうですが、漂着物がよく見かけられ、その多くのものに、ハングル文字や略字体の漢字(中国語)が見られます。
この石垣を外見だけを見たら、波消しのためのものだろうと思われますが、この石垣で守られている田畑や民家はありません。石垣の陸地側に行くと、
樹木のトンネルができています。郷土史家の説明では、「武者走り」ということです。造られてから、やがて1000年になろうかというのにはっきりと続いています。近くにある説明板です。
ここの地名が「逃の浦」となっているのが、面白いですね。蒙古軍に対して、この武者走りを兵士たちは弓をつがえて、果敢に戦ったことを考えますが、実際には逃げ出していたのでしょうか逃げたのは住民なのでしょうか。この種の防塁跡は松浦市から田平の海岸にかけて他にもいくらか残っているそうですが、陸側から行くには、道らしい道もないので、船から海岸線をたどれば、他の所でも見つかりそうです。次回はホークス・アイランドとします
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