佐々川の渡し場跡
長崎県で一番長い川である、佐々川は江戸時代後半までは、大型の船が上流まで上っていて、佐々皿山の窯元には、天草の陶石が運ばれていました。どこにも橋が架かっていなかったので、古川には渡し場があり、平戸藩の参勤交代の時も船で渡っていたと記録がありますが、江戸の末期には、地形の変化もあり浅くなり、古川には飛び石が置かれています。200年ほど前頃、伊能忠孝が測量に来た時は、飛び石を渡ったと日記にあります。
明治に入り、古川橋と佐々橋が架かり便利になりました。しかし、小佐々の人にとっては、佐世保方面に行くとなるとかなり遠回りをしなければならなかったのです。
現在の見返り橋の少し上流に伝馬船の渡し場があり、戦後も利用されていました。
佐々側の川縁に少しですが、渡し船に乗り降りするための石が残っています。拡大すると
以前はもっとあったと、昔、渡し船を営業されていた、宮本さん(口石から分家された)からこれらの石のことを直接聞きました。
向かい側の小佐々側にはもっと立派な石積の跡が残っています。
最初の写真の左側にあるのは見返り橋ですが、小佐々町の郷土史によると、昭和32年に架けられたそうです。しかし、松浦鉄道と立体交差する跨線橋ができたのは、昭和40年ですから橋が出来てもバスが通うようになったのは、8年も待たされています。その理由として、佐々側が小佐々の人が佐々の中心部を通らずに佐世保へ行くことに消極的だったと書かれています。
最近になって、小佐々側には、大型パチンコ屋やホテルもできました。西九州自動車道の佐々インターから近い所なので、立地したのでしょう。それにしても、道路が狭いと思っていたら、小佐々の部分は川を埋め立てて道路を拡張して2年もせずに出来上がるそうです。佐々の古川の所は狭い道路のままで、取り残されてしまいます。
次回は佐々古川岳の岩に刻まれた漢詩です
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