2017年7月17日月曜日

90.平戸の潮見神社の可愛い狛犬

潮見神社(平戸市大志々伎町)
 平戸の大志々伎町で肥前狛犬を見つけたと吉永さんから電話があったので、早速見に行きました。

 本殿の前に1対2体のかわいらしい狛犬が鎮座しています。


 白い花崗岩に彫られたもので、30センチほどの大きさで、ア・ウンの1対で本殿を守るように配置されています。これを見つけた吉永さんは「肥前狛犬」と思われたようですが、これは肥前狛犬の部類には入りません。大正もしくは昭和に作られたものでしょう。
 この神社には、平成18年に奉納された真新しい参道狛犬も1対、鳥居横にあります。

 これも白い花崗岩に彫られた、岡崎型と呼ばれるものです。この神社の境内には、数多くの灯篭が奉納され、江戸時代のものが多くありますが、狛犬は現、近代に奉納されたようです。
 近くの海岸に貝堀に来た年配のご婦人に神社のことを聞いたら詳しい話が聞けました。この方は、潮見神社のことを「おしおみさま」と言い、この神社には古くから「じゃんぐわら」が受け継がれていて、大志々伎の人たちが、まずこの神社にじゃんぐわらの踊りを奉納して、その後、船に乗せて志々伎湾の向かい側にある志々伎神社に向かうそうです。この大志々伎のじゃんぐわらが行かないと、志々伎神社の扉が開かないのだと、自慢そうに話してくれました。平戸市内には大きな幟旗をかざし、衣装を着飾った人たちが勇壮に踊るお祭りが各地に残されていて、無形文化財にも指定されています。

次回は世知原町の動物モニュメントです



2017年7月10日月曜日

89.平戸の神父の墓

マタラ神父の墓(平戸市田崎町)
 平戸市には江戸時代にキリシタン墓地はすべて破壊されて残っているものはないとのことで、その当時のキリシタン墓はありません。平戸大橋を渡り、南部へ向かっていると、宝亀(ほうき)の先、紐差(ひもさし)の手前の国道に、マタラ神父の墓入り口の標識があったのでた訪ねてみました。
 この墓のことは、前から知り合いの、広島カープの今村猛投手(背番号16)の祖母から聞いていました。
 分岐点からずいぶん走ってもそれらしいところもなく、道はかなり細くなってきた所で、農作業をしている年配の女性がおられたので、尋ねてみました。神父の墓は500m程先で、公民館の近くであること、かまぼこ型の墓石はコンクリートらしいこと、この田崎集落は全員カトリック信者であることなど聞きました。今村投手の祖母のことを話したら、自分の妹だとのことで、顔つきが姉妹でよく似ておられることに気付きました。

 田崎集落の墓地は全てカトリック様式です。神父の墓がコンクリートと聞いて少しがっかりしていたのに、このかまぼこ型は石のように見えます。

 この墓地で石材店の人が作業していたので、尋ねたらここまで来て、安山岩だといわれコンクリートでなくホッとしました。手前の花筒は御影石ですが。これは中国の石で、自分が工事したのだとのことでした。
 この神父さんは紐差教会の建設に当たられた人だそうです。フランス人で、大正10年にこの地で亡くなられたと記されています。

 平戸は江戸時代、キリシタンの嫌疑を徳川幕府にかけられ、徹底したキリシタン弾圧をしたと伝えられています。戦国時代から江戸初期のキリシタン墓は全国に100基以上認められるそうですが、平戸には全くありません。しかし、潜伏キリシタンは脈々と生きつづき、今では世界遺産登録には、長崎の教会群ではなく、潜伏キリシタンに関するものがユネスコに申請されるなりました。

次回は平戸の潮見神社のかわいらしい狛犬です






2017年7月3日月曜日

88.織部灯篭(4)

徳川美術館
 たつた会(熊本大学工学部電気工学科・昭和36年入学のクラス会)の集まりで、名古屋で懇親会をして、翌日の見学で徳川美術館に行きました。
 

 かつて徳川御三家の筆頭、62万石の大大名の所だけあって、立派なものです。パンフレットの写真を示していますが、国宝の源氏物語絵巻に代表されるような数々の美術工芸品が多数収蔵されています。
 昼を食べるために、庭を横切ってレストランに行くとき、茶室そばの庭園の一角に、白御影石の石灯篭がありました。

 近づいてよく見たら、織部灯篭でした。戦国時代から江戸時代初期にかけて、千利休の後、古田織部は天下一の茶人として活躍し、織部焼の茶碗は特に有名ですが、茶室のある庭園には織部が考案した独特の石灯篭が大名の庭園などに残されているそうです。以前、平戸藩のものを紹介しましたが、これらは最近では手入れが行き届かず、かなり荒れて、傷んでいました。しかし、ここのものは、きれいなままで残されていました。

 この角度から見れば、竿のT型が分かり、下部の人形みたいな彫り物も良く分かります。織部灯篭をキリシタン灯篭と呼ぶ向きもありますが、徳川家の庭ではありえないことでしょう。
 偶然に見つけた、織部灯篭ですが、全国的にはかなりあるとのことですが、普通にみられるところにはあまりなさそうです。

次回は平戸の神父の墓







2017年6月26日月曜日

87.佐賀県多久市の肥前狛犬6

若宮八幡神社の肥前狛犬
 この神社は大きくて古いもので、佐賀県の文化財に指定されています。
 階段を上った神殿前に、古くて大き目な1対2体の肥前狛犬が鎮座しています。ここのは盗難の心配がなさそうに思えますので、披露することにしました。



 両像とも、ア像かウン像分からず、イといった口の形です。しかし、長年の間に苔むして、貫禄も出てきています。

次回は肥前狛犬が続いたので、しばらく他のものにします。同期会で行った徳川美術館(名古屋市)の織部灯篭です








2017年6月19日月曜日

86.佐賀県 唐津市厳木町6

厳木町の肥前狛犬6
 ここも不用心なので、神社名を伏せます。


    神殿には1対2体、奉納されていますが、小型で可愛いものです。写真を撮るために移動させて、並べたり、向き合わせたりしてみました。向かって左側がア像、右側がウン像と良く分かります。ウンくんが少し汚れていますが、一時家出していた時があったのでしょう。

次回は多久市の肥前狛犬6です





2017年6月12日月曜日

85.佐賀県 唐津市厳木町5

厳木町の肥前狛犬5
 ここも神社名を伏せます。




 神殿の外の縁側に1対2体、ア、ウンというよりもイとウンという感じです。屋根の下といえども、多少は雨が当たるところです。砂岩製の肥前狛犬の頭の上には、うっすらと緑色の苔が生え始めています。

次回は厳木町肥前狛犬6です









2017年6月5日月曜日

84.佐賀県 唐津市厳木町4

厳木町の肥前狛犬4
 神殿内にきれいな肥前狛犬が1対2体ありますが、自由に出入りができるため、神社名は伏せます。




 砂岩で出来ていますが、ずっと室内で保管されていたものでしょう、汚れもなく、彫刻された時のままの姿で、時を刻んでいます。したがって、ア像には刻まれている銘文が読めます。享保5年(1720)3月日吉日、奉納者は小笠原太助・与市・市兵衛の3人の名前も分かりますが、写真の撮り方が悪くて良く分からないのは私のカメラが安物の上に腕も悪いのです。すみません
 

次回は厳木町肥前狛犬5です