2017年7月10日月曜日

89.平戸の神父の墓

マタラ神父の墓(平戸市田崎町)
 平戸市には江戸時代にキリシタン墓地はすべて破壊されて残っているものはないとのことで、その当時のキリシタン墓はありません。平戸大橋を渡り、南部へ向かっていると、宝亀(ほうき)の先、紐差(ひもさし)の手前の国道に、マタラ神父の墓入り口の標識があったのでた訪ねてみました。
 この墓のことは、前から知り合いの、広島カープの今村猛投手(背番号16)の祖母から聞いていました。
 分岐点からずいぶん走ってもそれらしいところもなく、道はかなり細くなってきた所で、農作業をしている年配の女性がおられたので、尋ねてみました。神父の墓は500m程先で、公民館の近くであること、かまぼこ型の墓石はコンクリートらしいこと、この田崎集落は全員カトリック信者であることなど聞きました。今村投手の祖母のことを話したら、自分の妹だとのことで、顔つきが姉妹でよく似ておられることに気付きました。

 田崎集落の墓地は全てカトリック様式です。神父の墓がコンクリートと聞いて少しがっかりしていたのに、このかまぼこ型は石のように見えます。

 この墓地で石材店の人が作業していたので、尋ねたらここまで来て、安山岩だといわれコンクリートでなくホッとしました。手前の花筒は御影石ですが。これは中国の石で、自分が工事したのだとのことでした。
 この神父さんは紐差教会の建設に当たられた人だそうです。フランス人で、大正10年にこの地で亡くなられたと記されています。

 平戸は江戸時代、キリシタンの嫌疑を徳川幕府にかけられ、徹底したキリシタン弾圧をしたと伝えられています。戦国時代から江戸初期のキリシタン墓は全国に100基以上認められるそうですが、平戸には全くありません。しかし、潜伏キリシタンは脈々と生きつづき、今では世界遺産登録には、長崎の教会群ではなく、潜伏キリシタンに関するものがユネスコに申請されるなりました。

次回は平戸の潮見神社のかわいらしい狛犬です






0 件のコメント:

コメントを投稿