諫早の肥前狛犬5
珍しいことに、ここの肥前狛犬は池の中にあります。
本殿右側のは頭の部分だけ水からのぞかせています。苔も生えているので、よく見ないとわからないものです。左側のは
池の中の石の上に置かれていて、しかも、池の水は抜けてしまっているので、全体が分かります。これまでにはずいぶん狛犬は見てきましたが、池の中にあるのは初めてでした。以上、諫早の肥前狛犬は7対14体でした。
次回は大村の肥前狛犬です
2016年12月5日月曜日
2016年11月28日月曜日
57.長崎県の肥前狛犬(8)諫早4
諫早の肥前狛犬4
ここにも肥前狛犬が2対4基ありました。新しいものと、古いものがはっきりしています。古い方から
駐車場のすぐ近くの石の祠のそばに、注連縄を2体まとめてかけられていました。
古くて苔も生えています。石もかなり風化して、狛犬とも思えない姿になっています。ここは神殿からは少し離れた所です。
本殿には、新しい肥前狛犬が1対2体、神殿を守るようにいました。
小さいので、移動して光を当てて写真に収めました。
砂岩で造られたこの肥前狛犬は、屋内にあるので、風雨にさらされることもなく、白くなってしまいました。
参道狛犬の本を読んでいたら、新しい狛犬が奉納されたら、古いものは現役を引退させられて、神社の片隅に片付けられていて、それらのことを、先代の狛犬と呼ばれています。したがって、駐車場のそばのものは、先代の肥前狛犬といったところでしょうが、注連縄もかけられているので、大切には扱われているようです。
次回は諫早5です
ここにも肥前狛犬が2対4基ありました。新しいものと、古いものがはっきりしています。古い方から
駐車場のすぐ近くの石の祠のそばに、注連縄を2体まとめてかけられていました。
古くて苔も生えています。石もかなり風化して、狛犬とも思えない姿になっています。ここは神殿からは少し離れた所です。
本殿には、新しい肥前狛犬が1対2体、神殿を守るようにいました。
小さいので、移動して光を当てて写真に収めました。
砂岩で造られたこの肥前狛犬は、屋内にあるので、風雨にさらされることもなく、白くなってしまいました。
参道狛犬の本を読んでいたら、新しい狛犬が奉納されたら、古いものは現役を引退させられて、神社の片隅に片付けられていて、それらのことを、先代の狛犬と呼ばれています。したがって、駐車場のそばのものは、先代の肥前狛犬といったところでしょうが、注連縄もかけられているので、大切には扱われているようです。
次回は諫早5です
2016年11月21日月曜日
56.長崎県の肥前狛犬(7)諫早3
諫早の肥前狛犬3
このお宮には、肥前狛犬が2対4体あります。石の祠が横に3基並び、中央の祠の左右に、小型の肥前狛犬が1対2体あります。
ア・ウンは良く分かりません。そして、祠の両端には、中型の肥前狛犬が1対2体あります。右側には
左側には
この中型のものは、左側がアで、右側がウンとはっきり分かります。どちらが古いのか新しいのかはよく分かりません。もともとこの場所に最初からあったとは思われません。とくに、中型の分は台からずいぶんはみ出しています。小型が多い肥前狛犬は、後世寄せ集められたことが多いようです。
次回は諫早4です
このお宮には、肥前狛犬が2対4体あります。石の祠が横に3基並び、中央の祠の左右に、小型の肥前狛犬が1対2体あります。
ア・ウンは良く分かりません。そして、祠の両端には、中型の肥前狛犬が1対2体あります。右側には
左側には
この中型のものは、左側がアで、右側がウンとはっきり分かります。どちらが古いのか新しいのかはよく分かりません。もともとこの場所に最初からあったとは思われません。とくに、中型の分は台からずいぶんはみ出しています。小型が多い肥前狛犬は、後世寄せ集められたことが多いようです。
次回は諫早4です
2016年11月14日月曜日
2016年11月7日月曜日
54.長崎県の肥前狛犬(5)諫早1
諫早の肥前狛犬1
江戸時代、諫早は佐賀藩領の土地でした。肥前鳥居もあるし、六地蔵塔も佐賀型のものがいくつもあります。あるだろうと予想はしていましたが、確かにありました。しかし、神社名を挙げてブログに書きだすのには、抵抗があります。この肥前狛犬は、最近知っている人には貴重品扱いされ、品物が小さいうえに、神社は無人の所が多く、盗難にあい、古物商の店先にあったり、ネットオークションにかけられたりしているようなこともあります。したがって、このブログでも、安心できるところ以外は神社名を伏せて書くことにします。しばらくは、神社名は書くことができません。問い合わせいただければ場所を教えることは出来ます。
正面からと横からと写真を2枚づつ示します。ア、ウン一対ですが、どちらもかなり石が流れていて、アかウンか定かではありません。安山岩と石材は思われます。時代的には戦国時代から江戸時代初期のものではないでしょうか。
次回は諫早2です
江戸時代、諫早は佐賀藩領の土地でした。肥前鳥居もあるし、六地蔵塔も佐賀型のものがいくつもあります。あるだろうと予想はしていましたが、確かにありました。しかし、神社名を挙げてブログに書きだすのには、抵抗があります。この肥前狛犬は、最近知っている人には貴重品扱いされ、品物が小さいうえに、神社は無人の所が多く、盗難にあい、古物商の店先にあったり、ネットオークションにかけられたりしているようなこともあります。したがって、このブログでも、安心できるところ以外は神社名を伏せて書くことにします。しばらくは、神社名は書くことができません。問い合わせいただければ場所を教えることは出来ます。
正面からと横からと写真を2枚づつ示します。ア、ウン一対ですが、どちらもかなり石が流れていて、アかウンか定かではありません。安山岩と石材は思われます。時代的には戦国時代から江戸時代初期のものではないでしょうか。
次回は諫早2です
2016年10月31日月曜日
53.長崎県の肥前狛犬(4)平戸
4.亀岡神社(平戸市)
亀岡神社には神殿の中に、肥前狛犬がいることを、「肥前狛犬を学ぶ会」の永渕氏から聞いていました。そこで、宮司に電話で確認して、永渕氏と一緒に出掛けました。神殿の中は、奥まったところにあり写真は撮れそうもない所にあるそうです。しかし、末社のお稲荷さんの所に同じものがあるとのことで、案内してもらてやっとわかりました。高校の頃は、神社内をずいぶん歩き回っていたつもりでしたが、宮司に案内されたところは、知らないところばかりでした。
亀岡神社には神殿の中に、肥前狛犬がいることを、「肥前狛犬を学ぶ会」の永渕氏から聞いていました。そこで、宮司に電話で確認して、永渕氏と一緒に出掛けました。神殿の中は、奥まったところにあり写真は撮れそうもない所にあるそうです。しかし、末社のお稲荷さんの所に同じものがあるとのことで、案内してもらてやっとわかりました。高校の頃は、神社内をずいぶん歩き回っていたつもりでしたが、宮司に案内されたところは、知らないところばかりでした。
お稲荷さんの石の祠の前に2体、仲良く並んでいます。
ずいぶん苔むしてきていますが、砂岩のようです。顔が扁平で、彫も浅く、今まで見たものと一味違います。
神殿の中のものは見ることは出来ませんでした。狛犬は神殿を守るもので、神殿にあるのは、神様そのものです。狛犬が神殿の中にいるのは、おかしいのではないかと、若い宮司さんに言ったところ、ずっと前から、こうなっていたので、自分の一存ではどうもできないとのことでした。
この付近には古い神殿や石の祠も多数残っています。ここは明治になってから、亀岡神社となりましたが、江戸時代には、「霊椿山神社」といって、平戸松浦家の神社があったところです。古い神殿の外に1対古くて小さな狛犬もいました。
もしかして、肥前狛犬と思いましたが、永渕氏の説明では、台座があるものは、時代が後のものだそうです。現在のような獅子狛犬に移り変わっていくときの、過程のものかもしれません。
江戸時代に佐賀の砥川石工が、平戸方面に出稼ぎに行っていたとの記録も残っています。江戸時代の砥川は多久領でしたので、多久の代官に願い出て切手を発行してもらったようです。その一部を記しますと
①寛政5年(1793)1月 小城砥川村の石工、五嶋、平戸で仕事をする為に、日数280日の切手を申請する。5人組6人。
②寛政10年(1798)8月 砥川谷の百姓佐平次、石細工の為の五嶋と平戸へ罷り越したく往来日数200日を願出る。
③寛政13年(1801)3月 砥川村の百姓、平次郎、貞次郎、貞十とその子彦松の4人石細工為五嶋平戸へ出稼したく250日の御切手を願出て、差免され切手を渡される。
とあります。当時の石工は百姓をしながら、注文があれば石細工をしていたようです。現金収入を得るためには、出稼ぎもしていたようです。
したがって、平戸や松浦の狛犬も砥川の石工がかかわっていた
ことも考えられます。
次回からは諫早方面の肥前狛犬です
2016年10月24日月曜日
52.長崎県の肥前狛犬(3)志佐
3.松山神社(松浦市志佐町)
この神社には、今まで何度も来ていました。最初は、鎮信鳥居(肥前鳥居の旧平戸藩内のもの)を見つけていた時、鳥居は古いものでしたが、明神型でした。六地蔵塔もあり、それを探していた時も来たし、松浦市の郷土史家に記念碑の拓本採りを依頼された時も来ていました、しかし、大きな普通の狛犬があることは知っていましたが、肥前狛犬は佐賀の人に指摘されるまでは全く知らずに、素通りしていたのです。
右側にいるのが阿形で、少しですが口が開いています。古い鳥居のそばです。
左側が吽形で、口を閉じています。
30センチほどの小さなものです。どちらも足をセメントで台座に固定されています。これでは行方不明になることはないでしょう。どのようないきさつで、この肥前狛犬がこの神社にいるのか、不明です。松浦市の文化財に指定されることもなく、郷土史家も知らないのではないでしょうか。石は砂岩ではなく安山岩みたいです。そうすると、小城牛津・砥川の石工が造った可能性もあります。江戸初期ではなく、かなり整った形をしているので、江戸中期頃ではないでしょうか。
次回は平戸の肥前狛犬です
この神社には、今まで何度も来ていました。最初は、鎮信鳥居(肥前鳥居の旧平戸藩内のもの)を見つけていた時、鳥居は古いものでしたが、明神型でした。六地蔵塔もあり、それを探していた時も来たし、松浦市の郷土史家に記念碑の拓本採りを依頼された時も来ていました、しかし、大きな普通の狛犬があることは知っていましたが、肥前狛犬は佐賀の人に指摘されるまでは全く知らずに、素通りしていたのです。
右側にいるのが阿形で、少しですが口が開いています。古い鳥居のそばです。
左側が吽形で、口を閉じています。
30センチほどの小さなものです。どちらも足をセメントで台座に固定されています。これでは行方不明になることはないでしょう。どのようないきさつで、この肥前狛犬がこの神社にいるのか、不明です。松浦市の文化財に指定されることもなく、郷土史家も知らないのではないでしょうか。石は砂岩ではなく安山岩みたいです。そうすると、小城牛津・砥川の石工が造った可能性もあります。江戸初期ではなく、かなり整った形をしているので、江戸中期頃ではないでしょうか。
次回は平戸の肥前狛犬です
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