毘沙門寺の薩摩塔(佐世保市宇久町平)
宇久島は長崎県の離島、五島列島の北の端にあります。平成の合併までは、北松浦郡宇久町でしたが、佐世保市に合併して佐世保市になりました。江戸時代は五島藩でした。以前、鎮信鳥居(肥前鳥居)を調べていた時には、隣の島の小値賀までは行きましたが、宇久には行っていませんでした。最近になって、薩摩塔があることを聞き、宇久町の郷土誌を読んだら、六地蔵塔もあることも分かり、早速出かけました。
毘沙門寺は古いお寺ですが、きれいに整備されていました。真言宗のお寺ですが、十数年前に、高野山から派遣された兼平和尚さんご夫婦に会っていろいろお話を聞くことができました。この和尚さんは自分のことを住職とは言わずに、和尚さんというのでこの後の文中で和尚さんと書きます。
写真の左側の参道に2基の薩摩塔があったそうで、5年ほど前に、立ち寄った人が薩摩塔といったそうで、その後、長崎の石造物の専門家大石一久氏、福岡の井形清氏(「薩摩塔の時空」の著者)、鹿児島大学の先生たち(石を科学的に分析して、薩摩塔を中国の梅園石と特定された)が毘沙門寺のものを中国の石であると分析されたそうです。
本堂脇の建物の入口に2個の石を重ねて置かれていました。上のは6角で、下のは4角です。というのは本来4角と6角の薩摩塔が2基あったということです。1200年代後半のものですから他の部分は長い年月の間に破損散逸したものと思われます。
6角のものは6面ありますが、4面だけに神像というか、四天王像というか彫り込まれています。
4角のものは、基壇と呼ばれる基礎の部分でしょう。他の所も見ましたが、4角と6角を組み合わせたものはありません。ですから、4角と6角の塔が別々にあったものといえます。
宇久島には平(たいら)と神浦(こうのうら)の二つが大きな集落です。昔栄えていたのは神浦ではなかろうかと和尚さんに聞いたら、確かにそういう人もいたそうですが、この古い薩摩塔が確認されて、平の方が古いと証明されたとのことでした。
宇久に渡る前に郷土誌で六地蔵塔が5基あることを確認していましたので、和尚さんに尋ねたら案内しましょうと、自分の軽乗用車で六地蔵塔巡りに出掛けることになり、道に迷うこともなく、電動アシスト自転車をフェリーで渡して来ていたけど、ほとんど使わずに楽な宇久島でした。
次回は宇久島の六地蔵塔1です
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