佐賀市川副町大字福富1031番地の恵比寿さん
中学・高校の頃、進学関係の書類を書くとき、必ず本籍地を番地まできちんと書かされていました。私が書いていたのは「佐賀県佐賀郡中川副村大字福富1034番地」でした。いまだにすらすらと書けます。(現在の本籍地は現住所と同じ)
最近、多久の永渕さんから「佐賀の恵比須台帳」という本をいただきました。
恵比須DEまちづくりネットワークから平成28年3月に出されたものです。その中の157番目に佐賀市川副町大字福富1031番地に古い恵比須さんの石像が紹介されています。さっそく写真を撮りに行きました。この台帳では現在823基の恵比須さんが台帳に登録されています。
地元の人はここのことを「お観音様」と呼んでいると1034番地で、生まれ育った二従弟の井上美代子さんから聞きました。現在はいろいろな石像が6体並んでいて、花も飾られてきれいに保存されていますが、回りはコンクリートと舗装道路で固められています。
右端のものが恵比須さんです。拡大すると
右手に鯛を抱えているのはわかりますが、左手に竿があるのかも知れないけど今となっては分かりません。摩耗もあって、顔の表情は分からずかなり古そうです。左足を曲げ、右足を下におろして腰かけたこの形態を「半跏(はんか)」というそうです。最も多い形で、全体の70%はこんな形をしています。
建造年が分かるものは少なく、江戸時代のもので記銘年が分かるのは、40基ばかりです。古いのはほとんど分からないようです。しかし、現在も造られているそうですが、新しいものには、建立者名や年月日も記されています。
ご先祖のこの本籍地は江戸時代は佐賀藩の本藩領ですが、明治になり戸籍ができたときに、佐賀県佐賀郡福富村150番地でしたが、明治の末には佐賀県佐賀郡中川副村大字福富1034番地となっています。私の祖父井上定太郎は明治12年生まれで、自宅から1軒隣ですから、子供のころから見ていたでしょう。また、曾祖父の安平は文政12年(1829)の生まれで、その父親、曾曾祖父の平七は生没年は不明ですが、平七ひいひいじいちゃんはまだ新しいエビスさんを見ていたのではないでしょうか。場所は移されているかもしれませんが、200年前のご先祖と同じものを見れるとは石の文化のすばらしさをあらためて感じました。
次回からは五島列島の北端・宇久、小値賀の石造物です
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