平戸街道ネットワークの会で、田平から彼杵までを、6区間を毎月一区間およそ12,3キロを6,70人で歩いています。北部の平戸に近い所では解説もしていますが、南部ではもっぱら救護車(と言っても自家用車)を運転して楽をしています。平戸街道はこの6区間に山越えの坂道がない所はありません。かなり年配の人も参加しますから、疲労困憊する人もいるので、そんな人を安全なところまで輸送していて、過去十数年事故がないのが自慢の会です。
その南部地区の早岐~川棚間に舳の峰峠があります。
今ではバスも通う道で、「番所峠」のバス停があります。平戸藩と大村藩の境です。
そこに平戸藩の役人が詰めていた番所が江戸時代にはありましたが、現在は農地になっています。番所跡の解説を参加者にしているのは川里さんです。(これはコンクリート柱の番所跡碑)
そこの役人だった人の子孫の方は、ここより数百メートル麓に移られて農業をされています。この方の庭先に藩境の石碑は移されて大切に保存されています。
なぜか「これより西は平戸藩」という同じような境の石碑が2個ありますが、石の材質が違うので、建てた時代も違うのでしょう。
戦国時代の領地分取り合戦で、境木峠(佐世保市春日町)までだったのを平戸方が早岐の先まで大村から分捕った所です。
昔はこの近くには大村方の境石もあったと思いますが、見つかっていません。
次回は佐賀藩と大村藩の境石です
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