2016年3月7日月曜日

19.佐々町の棚田

地元、佐々町の棚田(棚田百選ではないけど)
 佐々町には有史以前から人類が住んでいた痕跡があります。それは、狸山にある支石墓群(ドルメン)です。朝鮮半島で見られるもので、発掘調査も行われ、内から勾玉も出てきています。その頃から稲作が行われていたのでしょう。
 山に取り囲まれた地形のところで、歴史的には、かろうじて977年(平安時代)に山頂にあった神社の記録が残っているのがありますが、実質的には戦国時代からとなります。
 佐々町を縦断している佐々川は長崎県では最大最長の川です。この川の水利を利用して、田んぼが広げられてきました。戦国時代の領主は農地を拡大するために苦心したようです。江戸時代になると浅瀬の海岸を干拓してほぼ現在の土地が出来上がり、川の水面より低い田んぼもあるようです。大雨の時、大型のポンプでくみ出す施設は拡大されてきています。干拓以外の農地は、いわゆる中山間地で、ほとんどが棚田で占められています。都市化の波で宅地となった棚田もかなりありますが、無数の棚田が町内には残っていますので紹介します。

1.木場の棚田
 佐々川の支流、木場川に沿って多くの棚田があります。佐世保市に近いこともあって、新興住宅地もいくらかできましたが、多数の棚田があちこちと点在しています。木場川上流付近です。


 高台にも石積の棚田が造られ、きちんと整備されたところが多く見られます。溜池も多く、渇水になれば佐々川の水を溜池に組み上げる設備ができています。150mもポンプアップしているため大変な工事だったと関係者の話も聞きました。


 高台の見晴らしの良い所には、「農栄碑」と書かれた大きな石の記念碑が目立ちます。最近は稲作以外には和牛生産農家も増えてきています。 

2.江里の棚田
 この棚田には溜池がほとんどありません。山肌から湧水が出ていて、年中枯れることがありません。

 写真を撮っていたら、横や後ろにも狭いけど棚田があります。



3.志方の棚田
 志方という地名は、戦国時代の領主名によるものです。中段には居城跡というか屋敷跡なども残っていて、近くには千人堂とか千人塚という地名も残り、戦国時代の名残をとどめています。このあたりに狭いながらも棚田が見られます。

 志方の下方は農地の整備が進み、石垣による棚田は姿を消しています。

4.大茂の棚田
 佐々町の地域は丸い形をしていて、佐々町に降った雨は佐々川に流れ込むのが大部分ですが、大茂の水は、江迎に流れるといわれ山も深いものがあります。小さい棚田が点在しています。この棚田の付近には、以前エビネランの自生したものがあり、ブームになった頃はこの付近を探して回りました。

 狭くても構造改善事業が行われたところもあり、りっぱな田んぼになったところもあり、道路の整備も進み昔ほど山奥という感じがしなくなりました。

5.栗林の棚田
 この付近の農地は日当たりもよく、宅地化も進んでいます。写真のところは、改善事業で広い田んぼになっていますが、石垣部分もいくらか残されています。

6.神田(こうだ)の棚田
 この地区には、大手の炭鉱が進出してきてずいぶん賑わったのですが、今では農業主体のところです。広い農地はほとんど改善されていますが、昔ながらの石垣の棚田やその荒れた部分なども見えます。
 
 棚田は佐々に限らず、長崎県内どこにでもあります。とても紹介しきれません。広い所を写真に収めるには無理があり、ドローンでも使えば良さそうです。
 今回の写真は、冬枯れのさびしいものでしたので、田植え後や夏の緑濃いものや、秋の収穫時のものも追加してみたいと思っています。忘れなかったら良いのですが。


次回は「謎のウハキュウ文字」です

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