大久保天満宮(佐賀市大和町大久保)の肥前狛犬
佐賀の大和町には叔父さんが電気工事店をしていたので、遊びに行ったり、電気工事の手伝いをしたりしてよく行っていました。今は従弟が後を継いでやっています。
高速道路工事が行われ、その時、奈良時代の遺跡「肥前国庁跡」が整備されています。大宰府の管轄の大規模な国庁跡がいくらか復元されたりもしています。肥前の国は昔は佐賀県が主で長崎県側はずっと後になり集落もできたようです。大和町には国分寺とか尼寺という地名も残っており文字通り肥前の国の中心地だったようです。
三日月町に近い、大久保天満宮には参道狛犬の堂々としたもの1対もありますが、その前に肥前狛犬としては大型のものが1対しっかりと対峙しています。
2019年6月24日月曜日
2019年6月17日月曜日
190.佐賀県三日月町の肥前狛犬3
織島神社(小城市三日月町東分)の肥前狛犬
この神社には、肥前狛犬が1対と1体、合計3体あります。
普段、神社の神殿には鍵が掛けられていて肥前狛犬をまじかに見ることは出来ません。この日は見学会にお合わせて、地区の世話役の人が開けてくれました。
足の部分が欠けて座りが悪いものもあります。いまでこそ神殿の中に大切に保存されていますが、以前は雨ざらし日ざらしで狛犬にとって苦難の時代があったことでしょう。1体だけのものも以前は対のものがあったでしょう。「肥前狛犬を学ぶ会」ではすべての肥前狛犬を調べ終わったら、データベースにまとめられ、どこの1体とどこの1体が1対であったということも分かるようになってくるのではないでしょうか。
次回は佐賀市大和町の肥前狛犬です
この神社には、肥前狛犬が1対と1体、合計3体あります。
普段、神社の神殿には鍵が掛けられていて肥前狛犬をまじかに見ることは出来ません。この日は見学会にお合わせて、地区の世話役の人が開けてくれました。
足の部分が欠けて座りが悪いものもあります。いまでこそ神殿の中に大切に保存されていますが、以前は雨ざらし日ざらしで狛犬にとって苦難の時代があったことでしょう。1体だけのものも以前は対のものがあったでしょう。「肥前狛犬を学ぶ会」ではすべての肥前狛犬を調べ終わったら、データベースにまとめられ、どこの1体とどこの1体が1対であったということも分かるようになってくるのではないでしょうか。
次回は佐賀市大和町の肥前狛犬です
2019年6月10日月曜日
189.佐賀県三日月町の肥前狛犬2
岡本天満宮(小城市三日月町岡本)の肥前狛犬
こじんまりとした境内には参道狛犬1対、戦争前の昭和初期の馬の石像もありますが、なぜか1基だけです。このあたりの農家の馬も当時の陸軍に徴発されたことでしょう。
神殿内には1対と1体の3基の肥前狛犬があります。
背の高いのは別の祠にあったものを、移動したときに1体だけとなったのではないでしょうか。明治初期の混乱時に石仏の破壊や神社の統合なども行われていますが、今となっては記録も残っていず、その頃の様子をうかがい知ることはできません。
最近は神社の宮司も減ってしまいここも無住です。地域の世話役がお堂のカギを持ってきて開けて見せてくれました。このあたりでは、肥前狛犬の紛失盗難のことが知れ渡り、きちんと鍵をかけるところが増えてきました。安心ではあるけど、不便ではあります。
今回の見学会の幹事さんは地元の人と連絡を取り予定の時間に行くようにと気を使っておられました。
次回は三日月町の肥前狛犬3です
こじんまりとした境内には参道狛犬1対、戦争前の昭和初期の馬の石像もありますが、なぜか1基だけです。このあたりの農家の馬も当時の陸軍に徴発されたことでしょう。
神殿内には1対と1体の3基の肥前狛犬があります。
背の高いのは別の祠にあったものを、移動したときに1体だけとなったのではないでしょうか。明治初期の混乱時に石仏の破壊や神社の統合なども行われていますが、今となっては記録も残っていず、その頃の様子をうかがい知ることはできません。
最近は神社の宮司も減ってしまいここも無住です。地域の世話役がお堂のカギを持ってきて開けて見せてくれました。このあたりでは、肥前狛犬の紛失盗難のことが知れ渡り、きちんと鍵をかけるところが増えてきました。安心ではあるけど、不便ではあります。
今回の見学会の幹事さんは地元の人と連絡を取り予定の時間に行くようにと気を使っておられました。
次回は三日月町の肥前狛犬3です
2019年6月3日月曜日
188.佐賀県三日月町の肥前狛犬1
七星宮の肥前狛犬(小城市三日月町佐織)
今回の肥前狛犬巡りは「三日月町」一帯です。
中村敦夫扮する、木枯し紋次郎が「あっしには関わりのないこと・・・」・・・のセリフで有名になった頃、上州三日月村とは違うけど、この付近を通ると昔は三日月村と言っていたのだなと思っていました。上州三日月村は笹沢左保のフィクションでしょうが、他にも兵庫県にも三日月村はありました。
この神社の肥前狛犬は、1対2体足の部分が折れた所もありますが、拝殿の中に奥の神殿を守るように配置され、普段拝殿の扉には鍵が掛けられていて盗難を防止しています。鍵を持った町内会長さんがお世話をしてくださいました。大切にされている様子が分かりました。
次回は三日月町の肥前狛犬2です
今回の肥前狛犬巡りは「三日月町」一帯です。
中村敦夫扮する、木枯し紋次郎が「あっしには関わりのないこと・・・」・・・のセリフで有名になった頃、上州三日月村とは違うけど、この付近を通ると昔は三日月村と言っていたのだなと思っていました。上州三日月村は笹沢左保のフィクションでしょうが、他にも兵庫県にも三日月村はありました。
この神社の肥前狛犬は、1対2体足の部分が折れた所もありますが、拝殿の中に奥の神殿を守るように配置され、普段拝殿の扉には鍵が掛けられていて盗難を防止しています。鍵を持った町内会長さんがお世話をしてくださいました。大切にされている様子が分かりました。
次回は三日月町の肥前狛犬2です
2019年5月27日月曜日
187.栢木炭坑跡坑口
栢木炭鉱坑口跡(松浦市志佐町栢木免)
栢木(かやのき)炭坑の坑口跡があるというので案内してもらったが、竹やダンジクなどが生い茂り、藪になっていてまともには写真も撮れませんでした。後日、前田秀一さんの加勢を受けて薮払いをすることができました。前田さんは鹿町工業高校の教え子で、卒業後、松浦消防署に入り、署長までなり、平成30年3月に退職されていて、栢木に住んでいて、坑口跡にも興味があるとのことで、よく頑張ってもらい助かりました。藪払い前は、
こんな具合でしたが
坑口からは、今も鉱内水が勢いよく流れ続けています。付近の田んぼの水として使われています。鉱内水は現在も上水道として利用されているところが、旧北松炭田ではあちこちにあります。
坑口の両側には、飾りの石柱が建てられていています。石柱の上部には社章でしょう篆書体の文字を丸く図案化したマークもあります。
栢木炭鉱に関しては、「松浦炭坑史」から抜粋して書きます。
栢木炭鉱の沿革は
昭和13年8月着手
昭和14年2月着炭
昭和19年12月18日出水事故、浸水
昭和20年4月出炭再会
昭和29年閉山
とありますので、まさに戦争中に操業を始めた炭鉱です。戦時中はエネルギー源として石炭の増産が叫ばれていましたが、そんな時、増産目標を達成して、優良炭鉱として表彰を受けた記録もあります。
戦後昭和23年12月末の記録として、鉱内外、鉱員・職員計490人、月産2000トンとあります。
閉山後は同じ鉱区で、坑口はここより50m程上部に藪に埋もれて残っていますが、「新志佐炭鉱」として昭和31年5月に開鉱していますが、昭和37年には政府買い上げとなり炭鉱の幕を閉じています。
戦後のものらしく、「新志佐炭鑛」と左から右に書かれていますが、鑛の文字は旧字体で書かれ、坑口も石組ではなく、コンクリート製です。炭鉱名の上の四角の空洞は神棚を祀っていたところだそうです。
次回からは佐賀県内の肥前狛犬を巡ります
栢木(かやのき)炭坑の坑口跡があるというので案内してもらったが、竹やダンジクなどが生い茂り、藪になっていてまともには写真も撮れませんでした。後日、前田秀一さんの加勢を受けて薮払いをすることができました。前田さんは鹿町工業高校の教え子で、卒業後、松浦消防署に入り、署長までなり、平成30年3月に退職されていて、栢木に住んでいて、坑口跡にも興味があるとのことで、よく頑張ってもらい助かりました。藪払い前は、
こんな具合でしたが
坑口からは、今も鉱内水が勢いよく流れ続けています。付近の田んぼの水として使われています。鉱内水は現在も上水道として利用されているところが、旧北松炭田ではあちこちにあります。
坑口は3mくらい奥で閉じられていますが、石組のアーチは立派に残り、要石(キーストン)も大きな物がしっかり組まれています。炭鉱の名前も戦前のものらしく、「栢木炭礦」と右から左に書かれ、炭鉱の鉱の文字も石辺で、礦と書かれています。
坑口の両側には、飾りの石柱が建てられていています。石柱の上部には社章でしょう篆書体の文字を丸く図案化したマークもあります。
栢木炭鉱に関しては、「松浦炭坑史」から抜粋して書きます。
栢木炭鉱の沿革は
昭和13年8月着手
昭和14年2月着炭
昭和19年12月18日出水事故、浸水
昭和20年4月出炭再会
昭和29年閉山
とありますので、まさに戦争中に操業を始めた炭鉱です。戦時中はエネルギー源として石炭の増産が叫ばれていましたが、そんな時、増産目標を達成して、優良炭鉱として表彰を受けた記録もあります。
戦後昭和23年12月末の記録として、鉱内外、鉱員・職員計490人、月産2000トンとあります。
閉山後は同じ鉱区で、坑口はここより50m程上部に藪に埋もれて残っていますが、「新志佐炭鉱」として昭和31年5月に開鉱していますが、昭和37年には政府買い上げとなり炭鉱の幕を閉じています。
戦後のものらしく、「新志佐炭鑛」と左から右に書かれていますが、鑛の文字は旧字体で書かれ、坑口も石組ではなく、コンクリート製です。炭鉱名の上の四角の空洞は神棚を祀っていたところだそうです。
次回からは佐賀県内の肥前狛犬を巡ります
2019年5月20日月曜日
186.大岳神社の狛犬
大岳神社(松浦市)の狛犬
江迎・星鹿線という西肥バス路線が通っていましたが、数年前に廃止になり、松浦市側にはコミュニティーバスが細々と運営されている過疎の地域です。峠近くに大岳神社はありますが、昔はずいぶん賑わっていたことを感じさせられます。
はっきりしているものでは、寛文10年(1670)に建立された肥前鳥居(鎮信鳥居ともいう)が古いもので、第4代平戸藩主松浦鎮信公が奉納されたことがはっきり読み取れます。
次には紀元2600年(昭和15年ー1940)には鳥居の外にも漢文で書かれた記念碑や参道狛犬・灯篭なども立派なものが納められています。太平洋戦争へとまっすぐに進んでいく神社の勢いが感じられます。
道路沿いの本殿の他に、大岳山上頂上付近には、上宮もあり、平成になってからの立派な石の祠も造られています。その祠の前には、古い江戸時代のものと思われる狛犬が1対あります。
狛犬をよく見ると
この1対2体の狛犬は、参道狛犬とは見えません。だからと言って、肥前狛犬とも断定できません。全体の風情は、肥前狛犬によく似ていますが、顔のつくりはデフォルメがきいた肥前狛犬とは違い、目、口、鼻、足など細かい所まで細かく彫られています。
「肥前狛犬を学ぶ会」の永渕さんに写真を見てもらったら、肥前狛犬から、参道狛犬に移り変わる頃の過渡期のものではなかろうかとのことでした。
私としては、肥前狛犬の範疇に入れてもいいのではなかろうかと思いました。肥前狛犬・松浦バージョンとでもしたいと思います。
次回は栢木炭坑坑口跡です
江迎・星鹿線という西肥バス路線が通っていましたが、数年前に廃止になり、松浦市側にはコミュニティーバスが細々と運営されている過疎の地域です。峠近くに大岳神社はありますが、昔はずいぶん賑わっていたことを感じさせられます。
はっきりしているものでは、寛文10年(1670)に建立された肥前鳥居(鎮信鳥居ともいう)が古いもので、第4代平戸藩主松浦鎮信公が奉納されたことがはっきり読み取れます。
次には紀元2600年(昭和15年ー1940)には鳥居の外にも漢文で書かれた記念碑や参道狛犬・灯篭なども立派なものが納められています。太平洋戦争へとまっすぐに進んでいく神社の勢いが感じられます。
道路沿いの本殿の他に、大岳山上頂上付近には、上宮もあり、平成になってからの立派な石の祠も造られています。その祠の前には、古い江戸時代のものと思われる狛犬が1対あります。
狛犬をよく見ると
この1対2体の狛犬は、参道狛犬とは見えません。だからと言って、肥前狛犬とも断定できません。全体の風情は、肥前狛犬によく似ていますが、顔のつくりはデフォルメがきいた肥前狛犬とは違い、目、口、鼻、足など細かい所まで細かく彫られています。
「肥前狛犬を学ぶ会」の永渕さんに写真を見てもらったら、肥前狛犬から、参道狛犬に移り変わる頃の過渡期のものではなかろうかとのことでした。
私としては、肥前狛犬の範疇に入れてもいいのではなかろうかと思いました。肥前狛犬・松浦バージョンとでもしたいと思います。
次回は栢木炭坑坑口跡です
2019年5月13日月曜日
185.西光密寺の薩摩塔
西光密寺の薩摩塔(武雄市)
新日本百名山に佐賀県でただ一つ指名された、低山ではあるが、名山と言われる黒髪山の天童岩直下にある西光密寺(さいこうみつじ)跡にも数少ない薩摩塔が残っていました。
西光密寺は現在廃寺になっていますが、神仏混淆の頃は立派というか修験寺としてそれなりに活躍していたと思われます。薩摩塔もかなりに数のものを見てきましたが、ここのものは六角塔で、かなりよく残っている方です。13世紀後半の中国製のものでしょうが、ひび割れはあまり見かけられません。ただ台座に固定するために最近になって、コンクリートで補修されたところが生々しいものです。この回りには、古い石仏などもいろいろあります。
次回は大岳神社の狛犬です
新日本百名山に佐賀県でただ一つ指名された、低山ではあるが、名山と言われる黒髪山の天童岩直下にある西光密寺(さいこうみつじ)跡にも数少ない薩摩塔が残っていました。
西光密寺は現在廃寺になっていますが、神仏混淆の頃は立派というか修験寺としてそれなりに活躍していたと思われます。薩摩塔もかなりに数のものを見てきましたが、ここのものは六角塔で、かなりよく残っている方です。13世紀後半の中国製のものでしょうが、ひび割れはあまり見かけられません。ただ台座に固定するために最近になって、コンクリートで補修されたところが生々しいものです。この回りには、古い石仏などもいろいろあります。
次回は大岳神社の狛犬です
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