2019年5月27日月曜日

187.栢木炭坑跡坑口

栢木炭鉱坑口跡(松浦市志佐町栢木免)

 栢木(かやのき)炭坑の坑口跡があるというので案内してもらったが、竹やダンジクなどが生い茂り、藪になっていてまともには写真も撮れませんでした。後日、前田秀一さんの加勢を受けて薮払いをすることができました。前田さんは鹿町工業高校の教え子で、卒業後、松浦消防署に入り、署長までなり、平成30年3月に退職されていて、栢木に住んでいて、坑口跡にも興味があるとのことで、よく頑張ってもらい助かりました。藪払い前は、

 こんな具合でしたが

 坑口からは、今も鉱内水が勢いよく流れ続けています。付近の田んぼの水として使われています。鉱内水は現在も上水道として利用されているところが、旧北松炭田ではあちこちにあります。




 坑口は3mくらい奥で閉じられていますが、石組のアーチは立派に残り、要石(キーストン)も大きな物がしっかり組まれています。炭鉱の名前も戦前のものらしく、「栢木炭礦」と右から左に書かれ、炭鉱の鉱の文字も石辺で、礦と書かれています。 

 坑口の両側には、飾りの石柱が建てられていています。石柱の上部には社章でしょう篆書体の文字を丸く図案化したマークもあります。

  栢木炭鉱に関しては、「松浦炭坑史」から抜粋して書きます。
 栢木炭鉱の沿革は
  昭和13年8月着手
  昭和14年2月着炭
  昭和19年12月18日出水事故、浸水
  昭和20年4月出炭再会
  昭和29年閉山
とありますので、まさに戦争中に操業を始めた炭鉱です。戦時中はエネルギー源として石炭の増産が叫ばれていましたが、そんな時、増産目標を達成して、優良炭鉱として表彰を受けた記録もあります。
 戦後昭和23年12月末の記録として、鉱内外、鉱員・職員計490人、月産2000トンとあります。
 
 閉山後は同じ鉱区で、坑口はここより50m程上部に藪に埋もれて残っていますが、「新志佐炭鉱」として昭和31年5月に開鉱していますが、昭和37年には政府買い上げとなり炭鉱の幕を閉じています。 

 戦後のものらしく、「新志佐炭鑛」と左から右に書かれていますが、鑛の文字は旧字体で書かれ、坑口も石組ではなく、コンクリート製です。炭鉱名の上の四角の空洞は神棚を祀っていたところだそうです。

次回からは佐賀県内の肥前狛犬を巡ります


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