清浄院の肥前狛犬
禅宗は臨済宗の清浄院は庭園の手入れも行き届いて、清々しい感じを受けました。庭園内に小型の肥前狛犬が3体見られましたが、ここでは盗難の心配はなかろうと思い寺院名を出すことにしました。
本堂そばの自然石に乗せられた2基は1対2体と思われますが、最初からここにあったとは思われません。
ア、ウンもはっきりしません。風化が進み、丸っこいかわいらしいものです。
下段の庭園内には1基だけぽつんといますが、肥前狛犬の特徴をよく示しています。
全体に苔が生えて数百年の時代を偲ばれます。
また、敷地内には、六地蔵塔も合計3基ありました。
これらの六地蔵塔は佐賀型の典型的な型です。地蔵の顔に黄色の色が塗られているのはこのあたりでも、民間信仰が何かあるのでしょう。
狛犬や六地蔵があるということは、昔は神仏混淆だったのでしょう。明治の廃仏毀釈でつぶされることもなく、お寺だけは残ったのでしょう。
次回は小城市の肥前狛犬9です
2018年8月27日月曜日
2018年8月20日月曜日
147.小城市の肥前狛犬7
養父佐天満宮
写真の階段は中段から上の部分です。鳥居から見上げたらずいぶん高く見えます。お年寄りの集団みたいな一行ですから、下で待っているという人もいましたが、私は写真を撮らないことにはここまで来た甲斐がありませんので、ゆっくりと登り何とか写真を撮りました。1対2体です。
屋外にあるので、摩耗がひどく苔もついて、表情はほとんど分かりませんでした。
次の所へ行こうと移動していたら、民家の庭先に1体だけの肥前狛犬を見つけました。代表が、この家の人に了解を取ろうとしたけど、けんもほろろに断られました。私はその前に2枚だけ写真を撮っていました。
庭先に小屋を作り、お地蔵さんと肥前狛犬が並んでいます。もともとはどこにあったのでしょうか、よく吠える犬がそばで見張りのように人を近づけないように大きな吠え声を上げていました。
次回は清浄院です
2018年8月13日月曜日
146.小城市の肥前狛犬6
黒原公民館
ここは公民館の室内に1対2体の肥前狛犬がいますが、どこか近くの祠跡から持ってきたものでしょう。
佐賀県にはお宮と公民館が同じところにあるのは珍しくありません。お宮がなくなって、公民館だけが建てられたのかも知れません。
2体とも同じような姿をして、何となくうつむき加減で気の弱そうな感じがします。昔は、屋外に雨ざらし日ざらしだったのでしょう。摩耗がひどく表情は良く分かりません。
次回は小城市の肥前狛犬7です
ここは公民館の室内に1対2体の肥前狛犬がいますが、どこか近くの祠跡から持ってきたものでしょう。
佐賀県にはお宮と公民館が同じところにあるのは珍しくありません。お宮がなくなって、公民館だけが建てられたのかも知れません。
2体とも同じような姿をして、何となくうつむき加減で気の弱そうな感じがします。昔は、屋外に雨ざらし日ざらしだったのでしょう。摩耗がひどく表情は良く分かりません。
次回は小城市の肥前狛犬7です
2018年8月6日月曜日
145.小城市の肥前狛犬5
小城市の肥前狛犬5
「肥前狛犬を学ぶ会」の総会の後、今回は小城市の西部地区の肥前狛犬を見学、写真撮りに行きました。小城市の場合は以前に4か所の肥前狛犬を紹介していましたので、今回は5からになります。残念ながら不用心な所ですから場所を特定できないようにします
1対2体です。現在は屋根の中にありますが、以前は雨ざらし、日ざらしのためにずいぶん傷んでいて、かわいそうですが、今後は大丈夫でしょう。
次回は小城市の肥前狛犬6です
「肥前狛犬を学ぶ会」の総会の後、今回は小城市の西部地区の肥前狛犬を見学、写真撮りに行きました。小城市の場合は以前に4か所の肥前狛犬を紹介していましたので、今回は5からになります。残念ながら不用心な所ですから場所を特定できないようにします
1対2体です。現在は屋根の中にありますが、以前は雨ざらし、日ざらしのためにずいぶん傷んでいて、かわいそうですが、今後は大丈夫でしょう。
次回は小城市の肥前狛犬6です
2018年7月30日月曜日
144.小値賀の古墳
神方古墳
本来は西林寺(シャリジ)跡の六地蔵らしいものを探しに行って、地元の人に聞いたらここに案内されたので古墳も古代人の手がかかっているのだからということで取り上げました。
小値賀という小さな島にも古代人が住み着いて、古墳を作るような権力者の存在があったということが、不思議です。前日行った宇久島でも古墳の石だと神社に保管されたものも見ました。
西林寺跡の六地蔵塔(?)は小値賀町教育委員会の平田さんから示された写真を
六地蔵らしいということですが、郷土誌でも断言していません。今回の調査ではこの場所を確認できなかったので、この写真だけですが、砂岩でかなり摩耗していてお地蔵さんの姿が確認できませんが、六面確認してみたいものです。近くには笠もありますが、寄せ集めですからどれのものか分かりません。
次回からは佐賀県の肥前狛犬に戻ります
本来は西林寺(シャリジ)跡の六地蔵らしいものを探しに行って、地元の人に聞いたらここに案内されたので古墳も古代人の手がかかっているのだからということで取り上げました。
小値賀という小さな島にも古代人が住み着いて、古墳を作るような権力者の存在があったということが、不思議です。前日行った宇久島でも古墳の石だと神社に保管されたものも見ました。
西林寺跡の六地蔵塔(?)は小値賀町教育委員会の平田さんから示された写真を
六地蔵らしいということですが、郷土誌でも断言していません。今回の調査ではこの場所を確認できなかったので、この写真だけですが、砂岩でかなり摩耗していてお地蔵さんの姿が確認できませんが、六面確認してみたいものです。近くには笠もありますが、寄せ集めですからどれのものか分かりません。
次回からは佐賀県の肥前狛犬に戻ります
2018年7月23日月曜日
143.小値賀の六地蔵塔
柳のキョンタケ墓地の六地蔵塔
郷土誌には「柳のキョンタケ墓地の回り所」に六地蔵塔が記載されているのを読んでいたので、機会があれば行ってみようと思っていました。
柳地区に入り、自転車をこいでいくと、古いたたずまいの志々伎神社や立派な松並木が続く「姫の松原」とあります。そして中学校入り口とありキョンタケ墓地はずいぶん前に通り過ぎたようです。島を巡るときは注意しないとすぐに通り過ぎます。戻って農作業をしている人に聞いたらすぐにわかりました。
墓地では10人ばかりの年配のご婦人が墓参りに見えていました。聞いたら、前日近所で葬式があって、花をもらったので墓参りに持ってきたそうです。
回り所というのは墓地の入口の小さなロータリーみたいなところです。竿石は円柱ですが、文字がありそうにも見えますが、読み取ることは出来ませんでした。
次回は小値賀島の古墳です
郷土誌には「柳のキョンタケ墓地の回り所」に六地蔵塔が記載されているのを読んでいたので、機会があれば行ってみようと思っていました。
柳地区に入り、自転車をこいでいくと、古いたたずまいの志々伎神社や立派な松並木が続く「姫の松原」とあります。そして中学校入り口とありキョンタケ墓地はずいぶん前に通り過ぎたようです。島を巡るときは注意しないとすぐに通り過ぎます。戻って農作業をしている人に聞いたらすぐにわかりました。
墓地では10人ばかりの年配のご婦人が墓参りに見えていました。聞いたら、前日近所で葬式があって、花をもらったので墓参りに持ってきたそうです。
回り所というのは墓地の入口の小さなロータリーみたいなところです。竿石は円柱ですが、文字がありそうにも見えますが、読み取ることは出来ませんでした。
次回は小値賀島の古墳です
2018年7月16日月曜日
142.小値賀の鎮信鳥居・浜津神社
浜津神社(小値賀町浜津郷)
小値賀町の道路の分岐点には、右左の矢印で行先の地名が良く表示されています。さらに良いことに、そこの地名も書き込まれていることです。自転車で島の道を地図を片手に一周しましたが、行った所の地名の表示は他では見ることはなく、非常に良く分かりました。自転車のスピードでは神社を見落とすことはなく、すぐに見つけ出せました。
前から見ても
裏から見ても完全に肥前型の鳥居です。しかし、笠木は2本継ぎ、貫と柱は1本ものです。ということで新しいもので江戸時代のものではなかろうと思い柱をよく見たら、明治20年の文字が確認できました。前回の前方郷唐見崎の若宮神社の鳥居もやはり同じ形ですから同年代のものでしょう。若宮神社の説明板には江戸時代のものだろうとのことでしたが、明治以降のものと思われます。
鳥居のすぐ横に精米所があり、作業している年配の人に浜津神社について話を聞くことができました。近くにあった数社の神社を合祀してこの地に祭られたそうです。本殿前の鳥居は明治21年に建設された明神型のものでした。2年続けて石の鳥居を奉納するとは珍しいので聞いてみたら、昔はこの辺には大勢の人が住んでいたのだそうです。
以前に小値賀では3基の鎮信鳥居を紹介しましたが、これで、合わせて5基の同型の鳥居を確認できました。今回の2基は郷土誌には紹介されてなかったので、気付きませんでしたが、江戸時代のものでないので、記載がなかったのではないでしょうか。
次回は小値賀町の六地蔵塔です
小値賀町の道路の分岐点には、右左の矢印で行先の地名が良く表示されています。さらに良いことに、そこの地名も書き込まれていることです。自転車で島の道を地図を片手に一周しましたが、行った所の地名の表示は他では見ることはなく、非常に良く分かりました。自転車のスピードでは神社を見落とすことはなく、すぐに見つけ出せました。
前から見ても
裏から見ても完全に肥前型の鳥居です。しかし、笠木は2本継ぎ、貫と柱は1本ものです。ということで新しいもので江戸時代のものではなかろうと思い柱をよく見たら、明治20年の文字が確認できました。前回の前方郷唐見崎の若宮神社の鳥居もやはり同じ形ですから同年代のものでしょう。若宮神社の説明板には江戸時代のものだろうとのことでしたが、明治以降のものと思われます。
鳥居のすぐ横に精米所があり、作業している年配の人に浜津神社について話を聞くことができました。近くにあった数社の神社を合祀してこの地に祭られたそうです。本殿前の鳥居は明治21年に建設された明神型のものでした。2年続けて石の鳥居を奉納するとは珍しいので聞いてみたら、昔はこの辺には大勢の人が住んでいたのだそうです。
以前に小値賀では3基の鎮信鳥居を紹介しましたが、これで、合わせて5基の同型の鳥居を確認できました。今回の2基は郷土誌には紹介されてなかったので、気付きませんでしたが、江戸時代のものでないので、記載がなかったのではないでしょうか。
次回は小値賀町の六地蔵塔です
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