交通遭難者之碑(佐世保市中里町)
交通遭難者の碑などは珍しいものではなく、高度成長の頃には交通事故死者の数は年間、1万人を超えていて、交通戦争と言葉が報道されていました。現在はずっと死者の数は減りましたが、痛ましい交通事故が無くなったわけではありません。
この記念碑の前を通っている道路は、国道204号線で北松と佐世保市を結ぶ幹線道路でした。その後バイパスができたり無料の高速道路ができたりして、めっきり交通量が減ってしまいました。私が佐世保工業高校に通勤していたころはこの道しかなかったので渋滞の中を通って自然渋滞のため遅刻したこともありました。しかたなく、山越え道を見つけ出して通ったこともあったくらいです。
この記念碑は昭和36年10月に建てられています。建てた所は相浦地区交通安全協会とあり、文字を揮毫した人は当時の佐世保市長の山中辰四郎さんです。
なぜ、こんなどこにでもある記念碑を取り上げたかというと、長崎民医連の佐世保支部「させぼ健康友の会」の事務所兼「いこいの家」の真ん前にこの記念碑があり、いこいの家には毎週「パソコン教室」に来ています。スマホで写真を撮り、メールでパソコンに写真を送る操作の練習もしました。
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