佐賀平野は穀倉地帯として有名ですが、山からいきなり平野になり、山からの土砂による有明海の干拓も進んでいます。大雨になれば、嘉瀬川は暴れ川となり、水害を起こしていました。400年前に佐賀藩の成富兵庫成安(なりとみひょうごしげやす)という人が、コンクリートがない時代ですから、石を使って「石井樋」を作り嘉瀬川の水を多布施川へ緩やかに導き、農業用水、生活用水と利用してきました。佐賀では成富兵庫成安は「水の神様」と呼ばれていたそうです。
昭和35年に上流に川上頭首工という取水施設がつくられるまで、およそ350年間、水不足や水害から佐賀平野を守り続けました。使われなくなってからは、水も流れなくなって、部分的に土砂に埋もれていました。しかし、この石井樋は現在日本に残っている利水施設としては、最も古いもので、歴史的価値が見直され、平成17年に整備・保存されました。「さが水ものがたり館」でもらったパンフレットが分かり易いので図をコピーします。
主な石組の現在の写真を付けます。
(1)象の鼻
(2)天狗の鼻
(3)石井樋
左側に水門が2つ見えますが、3つ目にはゴミが詰まっていてよく見えませんが、ここから多布施川へ水が取り入れられています。現在、この水が佐賀平野の農業用水に80%、水道水10%、工業用水10%使われているそうです。さが水ものがたり館の展示館です。回りはきれいに整備されていて市民の憩いの場になっています。
次回は石の桁橋「栴檀橋」です
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