2017年8月28日月曜日

96.諫早の眼鏡橋

諫早の眼鏡橋

 現在の眼鏡橋は川にはありません。昭和32年の諫早大水害の時、この橋が丈夫で流されなかったため、上流から流されてきた材木、その他のものがせき止められて、ダムのようになり、水が市街地へあふれ出し、大水害になったといわれています。
 昭和32年は私は高校1年で、諫早とは何も関係ないはずでしたが、小学校6年の時の仲良しの友人が、中学校卒業後、農業実修生として、来ていて水害直後に詳しい手紙をもらっていました。その後も会ったときには、水害後の後片付けの時の生々しい被害状況も話で聞いていました。
 水害後、この橋は取り壊されそうになりましたが、諫早市民の要望もあり現在の地ー諫早公園に移転されて元通りの石組がされました。


 近頃は娘や孫たちもいるので、諫早には時々、出かけていき、この公園付近を散策することもあります。市民の憩いの場となっているようです。

 書きそびれそうになったので、忘れないうちに、書きますが、橋の下を流れていた川は「本明(ほんみょう)川」で、建造されたのは、天保10年(1839)ですから、長崎の眼鏡橋からすると200年くらい遅かったようです。

次回は今福・太田堤の記念碑です






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