2015年12月7日月曜日

6.長崎原爆で残った石

長崎原爆で残った石
 長崎大学医学部構内の会合に参加したとき、本館横にモニュメントがあり、

その横に、このL字形をした花崗岩を加工したものがありました。説明によると、旧制長崎医大の大講堂の礎石の一つであると書かれています。

さらに、同じ医学部の敷地内ですが、坂道を2~300m上ったところに、「グビロが丘」と表示されていたので登ってみたら


 
 
慰霊碑がありました。これまた花崗岩で、前面は磨かれてきれいにしてありました。慰霊碑の上の部分には柱をはめ込むための「ホゾ」があります。説明では、大講堂の柱ということです。その石を慰霊碑として長崎が原爆で被災してから、2年後に建てられています。
この碑の左側面には次の文字が刻まれています。
  「西暦1945年8月9日11時5分
     850余名のわが師わが友平和の
      先駆者としてこの丘に散りたまひぬ
    1947年10月浦上復帰の日
      長崎医科大学職員学生一同
          (文中の数字は漢字表記です) 
ということは、まだこの頃はまだ旧制大学のままだったのですね。
旧正門という看板を見たので、行ってみたら
ありました。多くの石で造られた高さ2m以上の一対の門です。左側が長崎医科大学とあり、右側には「長崎医科大学付属薬学専門部」とあります。右側は色が黒ずんではいますが、まっすぐに立っています。

しかし、左側のは5~10度くらい傾いています。囲いがしてあり、説明の石柱には「原爆の爆風の物凄さを今尚ここに見る」と書かれています。

長崎大学医学部は、浦上地区ですから原爆の直撃を受けています。浦上天主堂や、被爆した永井博士、石では片足鳥居などは有名なので知っていましたが、医学部内では木材やコンクリートは全滅してわずかにこれらの石が残ったそうです。
なお、「グビロが丘」のグビロとは虞美人草のことだそうですが、ヒナゲシとかポピーと言ったほうが分かりやすいですね。グビロが丘の慰霊碑の前辺りには虞美人草の小さな新芽が花壇に並んでいました。

次回は民家の石垣です

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