砥川の肥前狛犬 6
砥川地区を肥前狛犬巡りを案内してもらい回っていたら、山道沿いに、スレート葺きの小屋があり、倉庫らしいが何かあるかもしれないと、鍵がかかった鉄格子の中をのぞいたら、石仏などがびっしりと収められていました。
中は薄暗くて、近在の石仏や灯篭などが隙間なく並べられています。よく見たら奥の方に、1体の肥前狛犬もありました。
フラッシュをたいて写真を撮ったので、分かりにくいかもしれませんでしたが、案内をしてくれた2人の人も初めて見たとのことでした。
後から調べたら、肥前狛犬を学ぶ会ではここにあることを確認していたそうです。会としても、どうすれば良いのか話が付いていないのでしょう。この付近を探せばまだ他にも出てくるかもしれません。
次回は砥川7です
2017年2月27日月曜日
2017年2月20日月曜日
69.佐賀県 砥川5
砥川の肥前狛犬 5
ここはお寺の一帯に、9体の肥前狛犬があります。やはり砥川石工の里、あちこちにこの小さくて、かわいらしい狛犬は散在していたのでしょう。寄せ集められた感じがします。2体あるところです。
江戸時代の神仏習合の名残でしょう、石の祠もずいぶんあります。そこには、肥前狛犬が置かれています。6体まとめられたところもあります。
左右に3体、6体も1か所にありますが、明治以降に集められたのでしょう。
寺の境内の一角に1体だけぽつんと置かれたのもあります。
墓地には、江戸時代の砥川石工の名工平川与四右衛門の墓もあります。子孫は現在も小城市内で石材店を営んでいます。
次回は新発見?砥川6です
ここはお寺の一帯に、9体の肥前狛犬があります。やはり砥川石工の里、あちこちにこの小さくて、かわいらしい狛犬は散在していたのでしょう。寄せ集められた感じがします。2体あるところです。
江戸時代の神仏習合の名残でしょう、石の祠もずいぶんあります。そこには、肥前狛犬が置かれています。6体まとめられたところもあります。
左右に3体、6体も1か所にありますが、明治以降に集められたのでしょう。
寺の境内の一角に1体だけぽつんと置かれたのもあります。
墓地には、江戸時代の砥川石工の名工平川与四右衛門の墓もあります。子孫は現在も小城市内で石材店を営んでいます。
次回は新発見?砥川6です
2017年2月13日月曜日
68.佐賀県 砥川4
砥川の肥前狛犬 4
後世に作られたお堂には、石の祠や石仏などが寄せ集められています。その中に、左側に3体、右側に2体の肥前狛犬があります。
左側から順に写真を示します。左端のものだけが、奥行きが長く、ダックスフンドみたいな感じです。2体は1対のようですが、ア、ウンの区別は付けられません。
右側の2体は1対のようです。
次回は砥川5です
後世に作られたお堂には、石の祠や石仏などが寄せ集められています。その中に、左側に3体、右側に2体の肥前狛犬があります。
左側から順に写真を示します。左端のものだけが、奥行きが長く、ダックスフンドみたいな感じです。2体は1対のようですが、ア、ウンの区別は付けられません。
右側の2体は1対のようです。
次回は砥川5です
2017年2月6日月曜日
67.佐賀県 砥川3
砥川に肥前狛犬 砥川3
この神社にも、2対4体と言いたいところですが、1対は後世に寄せ集められた感じがします。
こちらの方は、小さいけど1対なのが分かります。上段に上る階段の両側にあり、参道狛犬といえそうです。
一般的にはア、ウンの1対ですが、どちらも歯をむき出していて、イといった方がいいような感じです。
次回は砥川4です
この神社にも、2対4体と言いたいところですが、1対は後世に寄せ集められた感じがします。
こちらの方は、小さいけど1対なのが分かります。上段に上る階段の両側にあり、参道狛犬といえそうです。
一般的にはア、ウンの1対ですが、どちらも歯をむき出していて、イといった方がいいような感じです。
次回は砥川4です
2017年1月30日月曜日
66.佐賀県 砥川2
砥川の肥前狛犬2
さすが石工の里、ミカン畑の中にも肥前狛犬がありました。
石の祠があり、両側に2対4体の肥前狛犬です。1対のものは、左右で大きさにかなりの差がありますので、もともと1対ではなく、後から集められたのかも知れません。屋外の雨ざらしですが、それほど傷みはひどくありません。
次回は砥川3です
さすが石工の里、ミカン畑の中にも肥前狛犬がありました。
石の祠があり、両側に2対4体の肥前狛犬です。1対のものは、左右で大きさにかなりの差がありますので、もともと1対ではなく、後から集められたのかも知れません。屋外の雨ざらしですが、それほど傷みはひどくありません。
次回は砥川3です
2017年1月23日月曜日
65.佐賀県の肥前狛犬 砥川1
砥川の肥前狛犬1
佐賀県小城市砥川町は肥前石工の里として町おこしに力を入れています。肥前鳥居や六地蔵塔を調べている時から何度も訪ねていました。今回、肥前狛犬の独特で、かわいらしい石像を見てから、じっくり調べてみようと思いました。
現在は小城市牛津町砥川となっていますが、江戸時代には、多久領だったそうです。砥川の集落から細い道を登っていくと、昔、石を採掘していた石山跡があり、多少整備されてはいますが、最近は訪れる人もなく、かなり荒れているように感じました。ここの石は安山岩だそうです。
秀吉の朝鮮出兵の折、呼子に名護屋城を築いた時には、全国から石工も集められたといわれていますが、その頃から「砥川石工」の名前は出てきます。その中でも江戸時代初期の平川与四右衛門(ひらかわ よしえもん)は有名で、その子孫は平川石材店として現在も続いています。
やはりここでも神社名は出せないのが残念です。最初に出会ったのは何気なく、広場の隅の方のころがっている感じですが、案内のN氏の話では、作りかけの未完成品だそうです。
ここにはたくさんの肥前狛犬がありますので、数体まとめて写真に撮ったものもあります。
欠損したものもありますが、肥前狛犬に間違いありません。
さすが、石工の里、雑然とありましたが、境内の周りには、合計18体のかわいらしい肥前狛犬がありました。盗難のことが心配になりました。
次回は砥川2です
佐賀県小城市砥川町は肥前石工の里として町おこしに力を入れています。肥前鳥居や六地蔵塔を調べている時から何度も訪ねていました。今回、肥前狛犬の独特で、かわいらしい石像を見てから、じっくり調べてみようと思いました。
現在は小城市牛津町砥川となっていますが、江戸時代には、多久領だったそうです。砥川の集落から細い道を登っていくと、昔、石を採掘していた石山跡があり、多少整備されてはいますが、最近は訪れる人もなく、かなり荒れているように感じました。ここの石は安山岩だそうです。
秀吉の朝鮮出兵の折、呼子に名護屋城を築いた時には、全国から石工も集められたといわれていますが、その頃から「砥川石工」の名前は出てきます。その中でも江戸時代初期の平川与四右衛門(ひらかわ よしえもん)は有名で、その子孫は平川石材店として現在も続いています。
やはりここでも神社名は出せないのが残念です。最初に出会ったのは何気なく、広場の隅の方のころがっている感じですが、案内のN氏の話では、作りかけの未完成品だそうです。
ここにはたくさんの肥前狛犬がありますので、数体まとめて写真に撮ったものもあります。
欠損したものもありますが、肥前狛犬に間違いありません。
さすが、石工の里、雑然とありましたが、境内の周りには、合計18体のかわいらしい肥前狛犬がありました。盗難のことが心配になりました。
次回は砥川2です
2017年1月16日月曜日
64.佐賀県の肥前狛犬 多久5
多久5
ここの肥前狛犬は、お寺の近くの石の祠の両側に1対2体ありますが、祠の中には石仏らしいものがあり、神様とは思えません。神仏混淆の名残でしょう。
ずっと屋外にあったのでしょう。かなり摩滅、風化が見られます。台の石には、コンクリートで固められてはいますが、そのコンクリートもかなり劣化して狛犬は確保されていないようです。
次回は砥川の肥前狛犬です
ここの肥前狛犬は、お寺の近くの石の祠の両側に1対2体ありますが、祠の中には石仏らしいものがあり、神様とは思えません。神仏混淆の名残でしょう。
ずっと屋外にあったのでしょう。かなり摩滅、風化が見られます。台の石には、コンクリートで固められてはいますが、そのコンクリートもかなり劣化して狛犬は確保されていないようです。
次回は砥川の肥前狛犬です
登録:
投稿 (Atom)