伊能忠敬の記念碑(相浦)
伊能忠敬が日本地図作成の測量のために、全国を回っていますが、第八次測量で、当地、相浦で文化10年(1813)の新年を迎えています。忠敬の日記には次の和歌も記されています。
七十路に近き春にぞ 相の浦
九十九島を いきの松原
これから、ちょうど200年後2013年に相浦地区に記念不を建てようと計画されました。相浦商工会、相浦史談会、佐世保史談会などの人が中心です。私が以前関係していた、平戸街道ネットワークの会も一枚絡んでいます。建立は2014年。
最初は相浦港の近くの空き地に建てられましたが、その後、佐世保市相浦支所などの建物が新築されたのを機に、支所横の公園に移転されました。
佐世保富士の一つ、「愛宕山」が望めるところです。伊能忠敬の偉業を私が述べ立てることは皆さんご存知ですから。佐世保から北松浦半島を経て平戸に向かっています。九十九島の小島もほとんど小舟で渡り測量していますから大変なことだったでしょう。平戸藩からはかなりの支援を受けていますが、出来上がった地図を(平戸藩関係分)平戸藩はもらい受けていて、それは今も平戸には残っています。
この年は伊能忠敬にとっては大変な出来事がありました。測量隊副隊長の坂部貞兵衛が五島を測量中に病死し、江戸では忠敬の長男も亡くなっています。
余談になりますが、69歳で新年を迎えたときの和歌を佐々町のお母さんコーラス「コールトワニー」(家内がメンバー)がコンクールの自由曲で歌いました。もちろん、伊能忠敬作詞と書かれていました。
次回は佐々町の伊能忠敬記念碑です
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