芭蕉本人は九州には来たことがありません。ですから、佐々町にも来たことはないけど、句碑はあります。
個人の敷地内にあるので、場所が特定できる表示は避けることにします。
(1)椎の木・・・の句碑
芭蕉が奥の細道の旅を終えて、京都の弟子の庵に住んでいた時に詠んだ句として有名です。この場所は京都の嵯峨野にあって、「落柿舎」と呼ばれる草庵ですが、芭蕉の弟子、向井去来のものです。柿の木が数多くあったので名付けられたものですが、敷地内には大きな椎の木もあったそうです。
そこで、奥の細道の旅から帰ってきたばかりの芭蕉はやっと落ち着いたと思われます。
「先(まず)頼む 椎の木もあり 夏木立」 という句です。長旅を終えた芭蕉のホッとした気持ちがうかがえます。佐々にある句碑は
この句碑を初めて見たときには、すぐそばに大きくて古い椎の木が立っていて、この椎の木を見て、芭蕉がこの句を詠んだのだろうかと思ったほどでした。しかし、残念ながら、写真を撮りに行ったときは根本から椎の木は折れてしまい片付けられていました。1987年8月30日に平戸瀬戸を通過した台風18号による被害でした。私が経験した最もひどい台風なので記憶も鮮明です。
椎の木の株の跡です。この場所は江戸時代後期に、平戸藩主松浦熈(ひろむ)公のお茶屋敷として、佐々の金持ちが殿様に献上したもので、重装な門とお茶室そして京都の庭師が造った庭園があり、池には滝から水が落ちるようになっていました。ずいぶん荒れてきましたが、庭園は今も残っています。
南九州大学の先生が時折、学生を連れてきて、庭園の草取りや剪定などをして、当時の庭園の研究をされています。
最近では、昔の門、茶室、本宅も取り壊されて、新築された家が建ったり、アパートなども建ち江戸時代の面影を残すものは庭だけになりました。
(2)いざいかむ・・・の句碑
佐々町のM氏宅の庭にあります。元は(1)先ず頼むの句と同じ場所にあったそうですが、M氏の祖父の代に譲り受けたものだそうです。
「いさいかむ 雪見にころふ ところまて」
この句は芭蕉の句の中でも有名なものです。芭蕉は推敲の名人と言われています、凡人の私はほとんど推敲をしないし、できません。昔読んだ本でこの句の推敲が何度も行われた経過を見た覚えがありますが、ここにある句碑の句はどれであるか確認していません。
芭蕉は旅を続けていますが、九州には来ていません。したがって佐々に立ち寄ったこともないのに、この2石碑は誰が、いつ、どんな目的で造られたのかは最初に案内してくれた郷土史家にも何もわからないとのことでした。芭蕉の句碑は全国いたるところにあり、九州にもあります。芭蕉が立ち寄ったところには立派な大きな句碑が立っていて観光名所みたいになっています。佐々にあるものは、江戸時代末期から明治にかけての頃だろうと推定できますが、当時芭蕉句碑建立が流行ったのではないでしょうか。
次回は佐世保市相浦港沖の高島です
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