佐々町には江戸時代、平戸街道が通っていて宿場や本陣屋敷などもありました。代官屋敷跡、佐々村庄屋跡も場所は特定されています。伊能忠敬一行が測量で来た時の宿も分かっています。しかし、宿場にあったはずの驛(うまや)は平戸街道ネットワークの会でも分かっていませんでした。
平戸藩でも江戸時代の早い時期に駅逓制度が定められ、田平の日の浦に中心の馬屋があり、江迎宿、佐々宿、中里宿、佐世保宿、早岐宿、御厨宿、志佐宿、今福宿に合わせて45頭の馬がいたと記録が残っています。平戸藩では、馬屋のあったところを「馬指(うまさし)役所」と呼んでいます。江迎の場合は馬指役所跡が後に江迎町の役場になりました。しかし、佐々町では馬屋は分かっていませんでした。石の文化を探し歩いていた私に、偶然にも佐々宿の馬屋跡にたどり着くことができたのでした。
上の写真石造り馬小屋の跡、右側の道路が平戸街道と言われているものです。正面から見ると、出入り口がありますが、最初の屋根は藁ぶきだったでしょうがすでに朽ち果てたものでしょう。砂岩の大きな石を組んだものは、他にも用途はあったでしょうが、使い回しされずに完全な形で残っています。平戸藩内でここだけしか見当たりません。
この屋敷は代々、前田家が馬屋をやっていたそうです。前田家の家紋は〇の中に前の文字を図案化したもので、平戸の殿様からご褒美にもらわれたそうです。
ここから数軒離れた所の98歳になる長老(宮村宇一郎さん)に話を聞くことができました。この馬屋のある家のことを昔から「宿(しゅく)」と屋号のように呼んでいたそうです。馬屋は当然街道筋にあったはずですから、納得がいきます。
このカフェのオープンは2月以降だそうですから、その後、客として行き報告したいと思います。
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