大村の薩摩塔
大村市は不思議なところで、戦国時代から以前の遺跡と思われるものは、かなりあるのですが、江戸時代のものはさっぱり見当たりません。
日本最初のキリシタン大名といわれる、大村純忠の時代に寺院や神社それにかかわるものも、ひどくぶち壊したらしく、あってもみすぼらしいものです。この薩摩塔が残っている「福重地区」には七山十坊と呼ばれる17もの寺院があったそうですが、江戸時代には全くなくなり、明治以降に建てられたお寺がいくらか現在は見られます。中世以前の龍福寺跡に薩摩塔の残欠が残っていました。
薩摩塔の後ろの石塔には「當寺中興」の文字が残っており、当時の名残が偲べます。写真を拡大すると
中国風の武者の陽刻は分かります。硬い石の特徴で、ひび割れが入っています。鹿児島大学の先生が石のサンプルを持ち帰り、詳しく調べられたら、中国の梅園石と一致したとこの家のご主人から伺いました。
大村市のこの辺りは大村湾に面しており、13世紀のころには、交易港もあり中国人の商人もいて、この中国人が本国からこの塔を取り寄せて、先祖の供養をしていたのではなかろうかと思われます。
この辺りは、ビニールハウスの農地が多く、果樹や花の栽培が盛んで豊かな農地を感じました。
次回は大村の東光寺跡の石塔です
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