相浦川の飛び石
江戸時代には川に橋が架かるのは珍しく、飛び石を置いて、そこを人々は渡ってのです。それが、現在に続いているところがわずかに残っているので紹介します。
説明文が分かりやすいので、そのまま写して書きます。
「 相浦川の飛び石
旧松浦藩の領内の川に江戸時代の橋があった記録はほとんどない。これは一説には戦略上の目的といわれるが、本当は技術的に橋が架けられためであろう。(金もなかったでしょう)
そのため、橋の代わりの飛び石が各所にあったが、現在残っているのは相浦川の飛び石だけである。幾度かの改修を経ながら、江戸時代の始のころからあったことは確実である。
飛び石は砂岩を用い、水切りを良くするために縦に長く加工し、
しかも安定のために孔を設けて木材を通した後、歩幅の間隔で並べ、砂利で固定されていた。これは長年の経験から考えられた昔の人の知恵と思われる。この飛び石は江戸時代から港として栄えた相浦へ通じる唯一の商業や行政の交通路であるが、明治11年に今の木の宮橋の所に木橋が初めて架けられて主役の座をゆずっている。今は途絶えたが、以前は地元川迎の寄合いで数年に一度はその補修を行っていた。これは生活のための大切な飛び石をまもる習慣であった。
飛び石は歴史のなかで人と文化を渡してきた証人であり、今後も大切に保存して後世に残すのが私たちの務めです。
平成5年10月 佐世保市教育委員会 」
この飛び石は現在も時々利用している人を見かけます。江戸時代からの石では中央部がすり減っています。人がよく歩いた証でしょう。天気が良い日にこの飛び石を歩きましたが、しっかりしているので安心して歩けましたす。
相浦の「愛宕祭」(毎年2月25日頃の金~日)には、東漸寺の住職が「勝軍地蔵」を背中に背負って、この飛び石を渡り、愛宕山の山頂まで運び、2月25日に御開帳されています。今年の愛宕祭は2月26日(金)~28日(日)に行われます。
この飛び石は佐世保市が文化財として指定していますので今後も残っていきそうです。新しい石で補修された部分もあります。
次回は鹿町川の飛び石です
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